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総合政策学部・2011年

総合政策2011(まとめ)いろは塾(後期)小論文

はじめに

総合政策2011年度の添削結果です。予習資料をお渡ししていたので、しっかりと予習をした人とそうでない人でかなり差がついています。

この総合政策2011年度は「理解できる人にはさっと理解できるが、理解できない人には問題の構成や意図が全く理解できず混乱する」類の問題です。

得点分布

SFC総合政策学部2011年度小論文添削結果表
今回はきれいにばらけました。台風で1週間延期になった分、予習用に資料を先に渡しておいたので、「事前準備」していた人はかなり点数が高くなっています。

諸数値
平均   : 89.3
標準偏差 : 36.9
#     : 14

今回はじめての方が下に点数を引っ張っている点と予習をしている人が有利だった点の両方の効果で結果として平均点はこのあたりにきて、ばらつきがやたら大きい分布となりました。

言葉を少し勉強しよう

この問題「プロセス」や「アプローチ」というよくある「カナカナ語」の意味を知らないと、得点が出にくくなります。講義では、辞書を用いて説明しましたが、せめてこれぐらいの言葉は知っておきたいところです。

問題発見・解決のアプローチを知ろう

総合政策学に関しては、過去に国から多大な研究費をもらっていたため、環境情報学よりもその体系がまとまっています。そのため、そのアプローチも学びやすくなっています。まずは、このブログに書いてある「総合政策的アプローチ」を理解すること。そして、それを意識しながら、

・総合政策学部2010年度 資料1
・総合政策学部2011年度 設問文、資料6
・総合政策学部2007年度 資料1~3

を熟読することで「総合政策学」を理解しましょう。この「総合政策学」は基本的には、環境情報学部でも重要となる問題発見・解決のアプローチと共通です。だから、体系的にまとめられている総合政策学に関する資料を通じて、総合政策学・環境情報学に共通する問題発見・解決について学びましょう。

設問の意図を理解すること

毎年、いろは塾(後期)では「骨のある問題」を解くことにしていますが、「設問の意図」を理解しづらい問題としてはこの問題がダントツトップです。問1と問2の関係性を理解するのがものすごく難しいんです。講義では、江戸川コナンくんや源しずかちゃん、はては、ピカチュウまで出てきてもらって説明しましたが、それでも1名ほど混乱していらっしゃる状況でした。この問題に関しては、いったん意図を理解できたら、その後は難問ではなく、むしろ、基礎的な部類に入るので、ぜひ設問の意図を理解した上で解くことにしましょう。

間違っても、このブログにのっている「総合政策的アプローチ」をそのまま書かないでくださいね。

得点が低い人の傾向

得点が低い人は、

1:設問を理解できていない。
2:資料文を理解できていない
3:適性が必要な部分が書けていない

という特徴があります。この3の特徴は、「1」に含まれるのですが、一部の「適性」に関する設問は人によって正答率がばらけます…単に設問を見るだけでなく、適性を意識した対策をすることで、こうした問題は少しずつ解きやすくなっていきます。

分布グラフ

SFC総合政策学部2011年度小論文添削結果グラフ
きれいなグラフになりました。もともとの実力+予習した・しないで、見事にグラフが2分されたものと思われます。

とにかく、SFC小論文で大事なことは以下の2つです。

気をつけるべきこと
1:設問を読む
2:適性を確認する

をしっかり対処しましょう。

それでは!

【添削】総合政策学部・2011年 このは様

(「管理者のみ閲覧可」でいただいていますので、ご投稿いただいた内容を一部省きながら書きます。)
直前期には添削をなさらないと聞いていますので、12月中には合格点取れりよ!と言われるよう頑張ります。
勉強したいので、私に足りない所など、 時に改善方法をお伺いしたいです。
直前期の定義は決めていないのですが、直前期には「フリー添削だ。とりあえず投稿しとく。」という人が増えるので、その人たちに毎回「総合政策的アプローチのエントリーを読んで。」「設問通り書いて」「他の人のエントリーも読んで」「添削の催促しないで。」と言うのが面倒だから、です。
2011年 総合政策学部

問1 図利用なし

日本をデザインするにあたって、私なりの良い日本は、日本国民だけでなく、日本に住むすべての人たちが、幸福を追求できることだと考える。なぜなら幸福の最大化において、日本国民と外国人の間には、公的な制度も含め隔たりがあるためだ。
そして幸福の追求は、日本国憲法にもある通り、人間の本質的な欲求である。つまり、幸福の最大化を行える国は総じて良い国だと感じる。そのような価値観がある。良い日本として、幸福の追求を挙げたが、深く掘り下げていくと、幸福やという言葉一つにも、様々な解釈を持つことがある。それは人によっては、幸福であることも不快と感じることがあるためだ。具体的な体験として、私は電車において、お年寄りの方に、席をゆずろうとしたが、お節介だと断られたことがあった。私は、席をゆずりお体を大事にして欲しいと思ったが断られた。その時、もし私がお年寄りであれば、ありがたくゆずって貰うだろうかと少し考えた。おそらく元気であれば、事例同様に断らっていたと考えついた。つまり、お年寄りという理由で席をゆずるということ事態に、解釈の違いが生じていたという事である。
そのことから、関連して人は幸福に対する考えは、その行為あるいは、事象によって与える側と受け取る側では、そもそも共有できないものだと考えた。その上で、私は将来、民生委員としての活動をしたいと考えている。まずは、周囲の社会をよく知りたいと考えたためだ。人によって違うならば、人によって同じ考えがあるはずで、その共通項を考え導き出したい。その上で、多くの人にとって、幸福とはどのようなものかを考えたい。
さらに、今回は幸福の追求という観点から述べた。これらの活動を通して、実際にあった事柄や事例を自分の考察と照らし、意見書として、国や役場の方と話をしていきたい。
(文字数9割)

問2図利用なし

問1では、良い日本というテーマで考えたとき、日本に住む外国人のことを思い出した。加えて、良い日本という言葉の意味を考え、その答えの一つとして、幸福が思いついた。いうまでも無いが、ここでは、幸福を追求できる日本を良い日本とした。すなわち、初めのステップとして、良い日本の枠組みを考えるところからスタートした。
次に、良い日本を実現するためあるいは、実行するために必要な価値観とは何かを考えた。そもそも人が、幸福を感じるときはどのようなときであるかを考えつきつめた。そして、反対に、幸福を感じないときは、どのような時であるかとさらに考えた。結論として私なりに、多くの人が幸福を感じることは、日々の生活が向上することであると考え出した。つまり、このステップでは、ある事象間の相互的な関わりや、事象間との相関が示されるかを考え、仮説を提起した。
これらを踏まえた上で、自分には何ができるかと考えた。思索を巡らせているなかで、民生委員の活動を思い出した。今は、頭の中の考えでしかないが、実際に、身近な地域社会と関わりを持つことが重要だと考えた。これは、単に構想を膨らませるだけでなく、具体的な考えが通用するかや、それに対する影響はあるのかを考えるのに有効だ。
そして、リード文にも示されているように、全体のパースアクティブを意識的に持つことは、私なりの総合政策学的アプローチと似ていると思われる。
(文字数10割、所要時間計1時間30分〈資料は読みこんでいたため実際には時間オーバー〉)
ざっと読んで、「書いている内容は、そんなに悪くないんだけど、ちょっと読みにくい。」という感じです。読み手としては、「がんばって読み取ろうとしたら、何とか読み取る気になる」という感じです。

日本をデザインするにあたって、私なりの良い日本は、日本国民だけでなく、日本に住むすべての人たちが、幸福を追求できることだと考える。
書いている内容のフェーズのブレは読み手を混乱させます。私なりの良い日本は「○○なこと」と書いてあると当然混乱します。私なりの良い日本は「○○な日本」と書きましょう。

あとは、前置きが長いから読みにくいです。
1)どのような日本を良い日本だと考えますか
という設問なのだから、

私は「良い日本」を、日本国民だけでなく、日本に住むすべての人たちが、幸福を追求できる日本だと考える。

ぐらいで十分です。
なぜなら幸福の最大化において、日本国民と外国人の間には、公的な制度も含め隔たりがあるためだ。
ここは読み手に努力をさせてしまっているところ。

おそらくは、このは様の頭の中では、日本では法的な日本国民と日本に滞在する(定住する、労働する、居住する)外国人との間では、政府からの支援に格段の差があるので、「外国人」は幸福を追求するのが日本人と比べて困難だ、という思考が働いたのでしょう。

そこまではいいのですが、それをここに「なぜならば」と書くことで、焦点が「外国人も日本に含めるよ」ということにうつってしまっているからです。

 

「日本に住む全ての人たち」が、「自分なりの幸福を追求できる」日本

がよい日本だ、という内容を書きたいのですから、書いていただいている文章構造のように、

日本に住むすべての人たちが、幸福を追求できる日本です。なぜならば、外国人にはハンデがあるからです。
 そして、幸福とは自分なりの幸福を追求することができることです。

という構造だと「日本に住むすべての人たちが、幸福を追求できる日本です。」と考えた理由が「外国人にはハンデがあるから」であり、「幸福を追求できる日本」はそれとは関係のない話に読めてしまいます。
#ノーコメントにしておきますが、「外国人は優遇され過ぎ」(右の人は「中韓アジア」、左の人は「米国」)という意見がありうる、と思っていますし、このは様の文面からは、「ハンデがある」と思ってらっしゃるのか「外国人は優遇され過ぎ」と思ってらっしゃるのかを計りかねますので、こういう書き方にしておきます。

実際には
1)どのような日本を良い日本だと考えますか、 2)その根拠となる価値観はどのようなものですか
という設問なのだから、

○○な日本がよい日本です。
なぜならば、△△という価値観だからです。

という構成にすべきです。いまのままだと、「△△という価値観だからです。」部分と「幸福の最大化において、日本国民と外国人の間には、公的な制度も含め隔たりがあるためだ。」を混同してしまう文章構成になっています。

ここでいう「幸福の最大化において、日本国民と外国人の間には、公的な制度も含め隔たりがあるためだ。」が付け加わっているのは

「よい日本」を考える時には「日本国民」に限ることなく、「日本に住んでいる外国人」もしっかりとその視野に含めなければならない。なぜならば、「外国人は、幸福追求において、日本人と比べるとハンデがあるから。

ということを説明するためであり、「根拠」となる価値観とは異なるのに「なぜならば、幸福の最大化において、日本国民と外国人の間には、公的な制度も含め隔たりがあるためだ。」と、と書いてあると混同のもとですよね。

問2のことを気にしなければ、わたしは書きません。問2のことを気にするのであれば、「よい日本を考える際には、日本国民だけでなく、当然日本に住む外国人も視野に入れなければならない。」と、再度同じ内容の文章を書く事で「強調」すると思います。
そして幸福の追求は、日本国憲法にもある通り、人間の本質的な欲求である。つまり、幸福の最大化を行える国は総じて良い国だと感じる。そのような価値観がある。
多少「つまり」が「つまって」いませんが、言いたいことは何となく分かります。本番だとこれぐらい舌足らずでもありかな、とは思います。

日本国憲法から引用するのであれば、幸福追求は欲求ではなく権利。これは正確に引用しましょう。欲求と権利は違います。幸福追求権に関しては、さらさらっとGoogle検索しておいてください。こんなの程度でも見ておくといいかと。

ちなみに、これも「読み手」のレベルによるのですが、この文章も本当は混乱の要因になっています。日本国憲法を引用することで、読み手はいったん頭の中の意識が「日本国民」に移るけれども、前文で書いている通り、「日本人」のみならず「日本にいる外国人」も対象にする、と書いているので。SFCの先生なら混乱しないとは思いますが。但し、文章全体を分かりにくくしているのは、こういった部分にも一因があります。
つまり、幸福の最大化を行える国は総じて良い国だと感じる。
ここは「感じる」と書いているあたりが、読み手としては不安になります。もうちょっと強めに書いていいです。同様に、
そのような価値観がある。
があることで、「幸福の最大化を行える国は総じて良い国」という価値観が、書き手のものなのか、一般的な意見なのかが分からなくなってしまいます。「あなたに会いたくて会いたくてしかたがないと感じる。彼に対してそういう思いを持つ。」か「あなたに会いたくて会いたくてしかたがない。」か、後者の方がシンプルで言いたいことも伝わりやすいでしょう?(と、私は思っています。)だから、最後の余分な一文は消すべきです。もし、ここまでの部分を書くのであれば、私はこんな感じで書きます。

幸福の追求は、尊重すべき人権である。したがって、「日本に関わる全ての人が幸福を追求できることがよい国家の要件である」というのが根拠となる価値観だ。

もし、仮に日本国憲法を意識するのであれば、

日本では、生存権や自由権は既に相当の割合で保護されているので、これからの日本では幸福の追求に視野を向けるべきだ、というのが根拠となる価値観だ。

ぐらいでも可能です。(ここでの「幸福追求」を「権利」と解釈すべきかどうかは判断のわかれるところですが、気になれば政治経済のお勉強でもしてみてください。)
良い日本として、幸福の追求を挙げたが、深く掘り下げていくと、幸福やという言葉一つにも、様々な解釈を持つことがある。それは人によっては、幸福であることも不快と感じることがあるためだ。具体的な体験として、私は電車において、お年寄りの方に、席をゆずろうとしたが、お節介だと断られたことがあった。私は、席をゆずりお体を大事にして欲しいと思ったが断られた。その時、もし私がお年寄りであれば、ありがたくゆずって貰うだろうかと少し考えた。おそらく元気であれば、事例同様に断らっていたと考えついた。つまり、お年寄りという理由で席をゆずるということ事態に、解釈の違いが生じていたという事である。
そのことから、関連して人は幸福に対する考えは、その行為あるいは、事象によって与える側と受け取る側では、そもそも共有できないものだと考えた。
ここは、この小論文の中で一番軸となる部分なので、これぐらい書いてあってもいいと思います。後ろの「そのことから、」で改行が入っていますが、ここは改行をせずに次のところで改行した方がベターです。

1)どのような日本を良い日本だと考えますか、 
2)その根拠となる価値観はどのようなものですか、
3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと

にぴったり一致させられるので。

それでは、一塊ずつ。
良い日本として、幸福の追求を挙げたが、深く掘り下げていくと、幸福やという言葉一つにも、様々な解釈を持つことがある。それは人によっては、幸福であることも不快と感じることがあるためだ。
長いです。減らしましょう。当たり前のことをわざわざ長く書く必要はないです。あくまで「読み手が理解しやすいかどうか」がポイント。

但し、各人によって自分なりの幸福がある。

ってだけですよね。せめて、

但し、人によって幸福の意味や内容は異なる。

ぐらいでしょうか。
Q2. (ご添削頂いた総合政策2011年に関して)
写真の文章は、削った方が良いのでしょうか?
以前、いろはさんのブログにて、文章を書くとき、1同業者 2別の専門家 3中学生くらい に分かりやすく書くのがコツと拝見しました。
確かに当たり前な考え方だと思いますが、中学生くらいならば、まだ分からないのかなと感じて、書きました。
追加で質問いただいた部分。ここに関しては「文章自体をなくす」必要はないとは思いますが、ただ長いです。これだけの内容をこんなに行数をかける必要はないです。

「同業者」「別の専門家」「中学生」に、という3つの視点は、「説明をするときに」それだけの柔軟性をもつべきだ、という意味であって、ひとつの文章の中で全てを満たすのは難しいです。普通、受験生の書く小論文は「中身がない」にも関わらず、「専門用語」が並んでいるので、分かりにくい文章が多いです。難しいことを書こうとしているときは、自分が本当にそれを理解していて、中学生にも分からせることができるかどうか自問自答するのもいいかもしれません。

具体的な体験として、私は電車において、お年寄りの方に、席をゆずろうとしたが、お節介だと断られたことがあった。私は、席をゆずりお体を大事にして欲しいと思ったが断られた。その時、もし私がお年寄りであれば、ありがたくゆずって貰うだろうかと少し考えた。おそらく元気であれば、事例同様に断らっていたと考えついた。つまり、お年寄りという理由で席をゆずるということ事態に、解釈の違いが生じていたという事である。
意味は通じますので、このレベルで大丈夫か、と思います。よく聞く話ですしね。

多少、工夫するとすれば、

世間一般では、お年寄りに席をゆずることは、お年寄りの幸せにつながると考えられている。けれども、私は、電車でお年寄りの方に席をゆずろうとしたが、お節介だと断られたことがあった。お年寄りに座っていただき、お体を大事にして欲しいと思っての行動であった。けれども、その方にとっては、若者に席をゆずられる、ということは必ずしも幸福につながるものではなかったのだ。つまり、ある人が幸せだと思っていても、別の人がそれを幸せと思うとは限らない

ぐらいに変えるでしょうか。全般に「幸せ」「幸福」という言葉を増やしています。ここは「解釈」と書くよりは、単純に「幸福を感じるポイントは人によって違う」を強調すべきだと思うので。
そのことから、関連して人は幸福に対する考えは、その行為あるいは、事象によって与える側と受け取る側では、そもそも共有できないものだと考えた。
この文章は微妙です。「幸福を与える側」と「受け取る側」に分けてるようにみえるところとか。

なくてもいいぐらい。もしくは、後半部分を強調するために、

幸福に対する考えは、ひとによって異なるものなので、他人の幸福を真に理解し、共有するのは困難であるとも言える。

ぐらいにしておくでしょうか。そうすれば、次にもつながるので。
私は将来、民生委員としての活動をしたいと考えている。まずは、周囲の社会をよく知りたいと考えたためだ。人によって違うならば、人によって同じ考えがあるはずで、その共通項を考え導き出したい。その上で、多くの人にとって、幸福とはどのようなものかを考えたい。
さらに、今回は幸福の追求という観点から述べた。これらの活動を通して、実際にあった事柄や事例を自分の考察と照らし、意見書として、国や役場の方と話をしていきたい。
この部分は実は「超むずかしい」です。

3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと

に該当する部分です。

はたして、これが「君自身ができること」あるいは「したいこと」として成立するか。わたしの感覚では、40%ぐらいかな、と。「実効可能性」がないこと、と、いささかの論理ずれ。

前の部分で、
関連して人は幸福に対する考えは、その行為あるいは、事象によって与える側と受け取る側では、そもそも共有できないものだと考えた。
と書いているのに、「なぜか、共通項を探していく」部分。あなたがやりたいのはどっち?

そして
国や役場の方と話をしていきたい。
に効果があるのか。これも謎。これをやれば、「本当に効果」あるのか。

問2

先に設問を書きましょうか。
問2 問1の解題の過程で考えた、君の「総合政策学的アプローチ」とは何かを述べてください(600字以内、解答欄の枠内だれば、図を挿入してもかまいません。
答案は、この説明に答えてませんよね。

結局、ワンワードでいうと君の「総合政策学的アプローチ」って何ですか?
問1では、良い日本というテーマで考えたとき、日本に住む外国人のことを思い出した。加えて、良い日本という言葉の意味を考え、その答えの一つとして、幸福が思いついた。いうまでも無いが、ここでは、幸福を追求できる日本を良い日本とした。すなわち、初めのステップとして、良い日本の枠組みを考えるところからスタートした。
次に、良い日本を実現するためあるいは、実行するために必要な価値観とは何かを考えた。そもそも人が、幸福を感じるときはどのようなときであるかを考えつきつめた。そして、反対に、幸福を感じないときは、どのような時であるかとさらに考えた。結論として私なりに、多くの人が幸福を感じることは、日々の生活が向上することであると考え出した。つまり、このステップでは、ある事象間の相互的な関わりや、事象間との相関が示されるかを考え、仮説を提起した。
これらを踏まえた上で、自分には何ができるかと考えた。思索を巡らせているなかで、民生委員の活動を思い出した。今は、頭の中の考えでしかないが、実際に、身近な地域社会と関わりを持つことが重要だと考えた。これは、単に構想を膨らませるだけでなく、具体的な考えが通用するかや、それに対する影響はあるのかを考えるのに有効だ。
そして、リード文にも示されているように、全体のパースアクティブを意識的に持つことは、私なりの総合政策学的アプローチと似ていると思われる。
全般的には、中身は悪くはないですが、結局ワンワードでいうと、何が言いたいのかが分かりづらいところと、抽象度合いが足りない(≒再現性がなさそう)のが気になるところ。
問1では、良い日本というテーマで考えたとき、日本に住む外国人のことを思い出した。加えて、良い日本という言葉の意味を考え、その答えの一つとして、幸福が思いついた。いうまでも無いが、ここでは、幸福を追求できる日本を良い日本とした。すなわち、初めのステップとして、良い日本の枠組みを考えるところからスタートした。
例えば、この部分ですが、君の「総合政策学的アプローチとは」と聞かれているので、答えは「まずよい日本の枠組みを考えること」と答えた方が分かりやすいのに、ダラダラ自分の経験(具体例)を書いてから、結論を書いているので分かりづらいです。
次に、良い日本を実現するためあるいは、実行するために必要な価値観とは何かを考えた。そもそも人が、幸福を感じるときはどのようなときであるかを考えつきつめた。そして、反対に、幸福を感じないときは、どのような時であるかとさらに考えた。結論として私なりに、多くの人が幸福を感じることは、日々の生活が向上することであると考え出した。つまり、このステップでは、ある事象間の相互的な関わりや、事象間との相関が示されるかを考え、仮説を提起した。
ここも、同様。あと「価値観」と「事象の関わり」は明らかに違うので、最後の「つまり」が前の部分の要約になってません。

前半は「価値観」と書くのであれば、「対象をどう見るか」について書くべきであり、「人によって、あるいは、視点によって異なるもの」を書くべきですが、「事象間の相互的な関わり」や「事象間の相関」はある程度固定化されていますし、「人によって違うものであっては困ります(解釈の違いはあるにせよ。)」ここは文章の意味が分かりません。
これらを踏まえた上で、自分には何ができるかと考えた。思索を巡らせているなかで、民生委員の活動を思い出した。今は、頭の中の考えでしかないが、実際に、身近な地域社会と関わりを持つことが重要だと考えた。これは、単に構想を膨らませるだけでなく、具体的な考えが通用するかや、それに対する影響はあるのかを考えるのに有効だ。
そして、リード文にも示されているように、全体のパースアクティブを意識的に持つことは、私なりの総合政策学的アプローチと似ていると思われる。
これも同様。具体例や経験を並べているだけで、結局何を言いたいかが分かりづらいです。

問1でやったことを抽象して書くことを求められてるので抽象して書いた方がいいと思います。

それでは。

【添削】総合政策・2011年(ゆーき様)

【質問】
読書などで得た知識を小論文のなかで具体例などとして出すときにどの程度までなら許容されるのでしょうか?今回の小論では推薦図書のパターン・ランゲージをよんでまさにそのとおりだと思ったので具体例として入れたのですが...

【答案】
問1
 私が考える良い日本は、国民全員が自身の価値観のもとに善い生活を求め続けられる日本である。人それぞれの価値観は育った環境や経験によって違う。お金だけでなく、趣味や人間関係に価値を置く人も多くいる。価値観に基づいた善い生活は他人が決められるものではない。言うならば、善い生活は本人が決め、求めらければならない。しかし、善い生活の根底にある毎日の衣食住の確保は政府が保証すべきである。ここには自分で衣食住を彫るための手段を学ぶ教育や人い範囲に及ぶ公衆衛生も含まれる。
 他人の助けのみで善い生活は得られないというのが根拠となる価値観である。受動的で与えられたタスクをこなすだけではならない。部分最適化の行き過ぎの原因に視野狭窄化が資料4で示されているが、視野を広げるにはどうすべきか。能動的に自分から善い生活を求めることで視野は広がると考える。なぜなら、善い生活を実現するには多くの事物に触れる必要があるからだ。善い生活を求めるプロセスの中で未知の事物に触れ、それに少しでも興味を持てば視野は広がる。後はその繰り返しと応用である。
 私の考える善い日本の実現には個人がそれぞれの善い生活像をもつ必要があり、それは社会一般の価値観に制限されるべきではない。今の日本では性別、能力別などで求められうものがある程度決められている。そうではなく、それぞれが善いと考えるものを求めるべきだ。善いと考えるものをより明白にするためには日本だけでなく、異文化圏にある価値観に触れ、より多くの例からヒントをもらう必要がある、そのために私は将来、日本人と外国人に異文化と日本文化の両方に深く触れる機会を提供できるプロジェクトを成功させたい。これが今の私の善い生活像である。

問2
 私の「総合政策的アプローチ」は価値の享受者参加型の価値設計である。価値は修正することから生まれ、ゼロから価値は生まれない。修正を重ねることで価値はより洗練されていく。価値の生まれる土台を作るのは製作者であるが、土台の設計は価値を享受する人であるべきだ。価値の実現と洗練には設計者、多くの場合専門家、とその享受者、その多くは素人、の価値観と知識の共有が不可欠である。
 例えば、ある建築家は家を建てる時、住む人の意見を聞いて設計して立てるだろう。しかし、その家は住む人が本当に求める家ではない。建築家の価値観によって設計され、作られたからだ。そうではなく、住む人自身が家を設計するべきで、建築家は素人である住む人のサポートに徹するべきだ。そこで専門的なことをわかりやすく示すのが建築家の役割である。そうして作られた家は住む人の求める家であるだろう。また、不便を感じた時に住む人自身で修正することが簡単になり、価値の洗練が促進される。
 例と同じように価値の土台を生み出す者は価値の享受者の価値設計をサポートするべきだ。問1で答えた善い生活を国民全員が求められるような日本を作るには国民全員で日本を設計していく必要がある。日本が持つ様々な問題の本質を見極め解決方法を考え、日本全体に提示することで国の設計を国民自身が出来るようにサポートすることが私の「総合政策的アプローチ」である。
まず、ご質問部分についてお答えします。

自分がイイタイコトを構成するために、論理的に筋が通っていれば問題ありません。

但し、SFCの先生が言っていることを答案用紙に書けば受かる、という意味ではありません。あくまで小論文の書き手が意見を述べるために、本人がもっとも有効である、と思う限りにおいて、本を読むことに使うことに何の問題もありません。

オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない。
上野千鶴子
私が好きな言葉です。

SFCの先生も、他人の意見を本人が消化し、それを自分の意見を述べるために用いることは普通のことだと思っていますので、気にしなくていいですよ(論文の作法としては、出典を示さなければいけないのですが、小論文では不要。)たまに勘違いしている人がいて、SFCの先生が書いている意見を書けば受かる、と思っていますが、それは間違いです。文章の中で浮いているのですぐにわかります。(この答案での用い方は「成立している類」に入ると思います。)

最近、私がよくいう「ワンワード」は中原先生がよく言ってることですね。そういう意味でも、私も他人の影響を受けて文章を書いています。

問1

問2と合わせて読むと、やりたいことはだいたい分かるのですが、単体で読むといくつかの点で成立していないので、私が採点するなら、点数はそんなに高くないと思います。周囲の人の答案によって、ボーダーに入るか入らないか、って感じ。

一番、クリティカルに点数が低くなる部分。少なくとも全体の1/3を占めるダメージ。
私は将来、日本人と外国人に異文化と日本文化の両方に深く触れる機会を提供できるプロジェクトを成功させたい。これが今の私の善い生活像である。
設問が
問1 資料1から資料6を参考にして、君が日本をデザインとするとき、1)どのような日本を良い日本だと考えますか、 2)その根拠となる価値観はどのようなものですか、3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと、の三点を説明してください(1から3の内容を含んで800字以内、解答欄の枠内であれば、図を挿入してもかまいません。
なので、少なくとも「3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと」は1/3ぐらいは書きたい、それに加えて、何をやりたいのか全く分からない(なぜ「外国人」に異文化と日本文化の両方に触れさせる必要があるか、とか、日本は100%の鎖国ではなく、多くの外国人が来日しているのに「何が足りないのか」が全く分からないし、そのために「君自身ができること、あるいは、したいこと」が何なのかが分からない、などつっこみどころ満載)です。この部分は、ゼロ点です。

あとは、
私が考える良い日本は、国民全員が自身の価値観のもとに善い生活を求め続けられる日本である。〜中略〜他人の助けのみで善い生活は得られないというのが根拠となる価値観である。
これは、設問の
「君が日本をデザインとするとき、1)どのような日本を良い日本だと考えますか、 2)その根拠となる価値観はどのようなものですか」
に対応する部分ですが、イマイチつながらない。もう1文か2文必要だと思います。

根拠となる価値観であるからには、「他人の助けのみで善い生活は得られないので、国民全員が自身の価値観のもとに善い生活を求め続けなければならない」という文章を読んで多くの人に「意味」が通じなければいけません。たぶん、書いている本人が理解していないと思います。

どうして「国民全員が自身の価値観のもとに善い生活を求め続けること」が重要なのか、を今一度考えてみて下さい。

そして、これを混乱させているのが、おそらく本人の現状分析です。「日本人は、既に自身の価値観を有しているのか、有していないのか」という現状認識に関して整理ができていない。これがこの問1全体をおかしくしている敗因。
人それぞれの価値観は育った環境や経験によって違う。お金だけでなく、趣味や人間関係に価値を置く人も多くいる。価値観に基づいた善い生活は他人が決められるものではない。言うならば、善い生活は本人が決め、求めらければならない。
と書いてあり、この部分はなんとなく納得できます。で、あれば、「既に日本人は自身の価値観を有している」のです。

それなのに、自分がやりたいこととしてあげているのが、「価値観をもっと広げようよ作戦」です。これは「日本人は、自身の価値観を有していない、不十分だ」という現状認識に基づくもの、です。(「今の日本では性別、能力別などで求められうものがある程度決められている。」と書いている現状は、はたして人々が「幅広い価値観を知る」ことで解決するのか。)

ここが全体として自己矛盾を起こしている、もしくは、「日本人は、○○という点で、自身の価値観を有することが不十分である」という一文が抜けているので本当は筋が通っている部分が読み手からは分からなくなっている、んだと思います。

いずれにせよ、この文章からは判断つかないので、問1はほとんど点数がつきません。なお、ひとつひとつの段落(これは問われていることに綺麗に対応していますし、その後の論理展開も展開された中身はともかくとして論理展開がなされています。)はそこそこ綺麗に書けてます。ただ他の部分とのつながりがズタズタなので意味が分からなくなっていますが。「主文」と「それを補強する文章」の関係に関してはこれぐらい書ければ何とかギリギリ及第点って感じです。

あとどうでもいいですが、
善いと考えるものをより明白にするためには
これは明白ではなく明確を用いるべき。辞書をひいておいてください。減点はされないでしょうが、日本語力のなさが露呈しますよ。自分で辞書を見て下さい。

問2

これは基本的には成立していると思います。(ご本人も認識しているように、パターンランゲージの本のおかげ 笑。)

気になるとしたら
価値は修正することから生まれ、ゼロから価値は生まれない。修正を重ねることで価値はより洗練されていく。
あたりはちょっと稚拙。本来であれば、問1と補強し合って一つの答案になっているべき、なんでしょうね。個々人は自己の価値観によった生き方ができる国では、不断に自己の価値観を問い直ししなければならないが、今の日本ではそうなっていない、ぐらいの分析が書いてあれば多少が意味が通じますが、「修正を重ねる」だけでは意味不明。
価値の実現と洗練には設計者、多くの場合専門家、とその享受者、その多くは素人、の価値観と知識の共有が不可欠である。
は、後ろの「専門家」と「素人」は書かない方がいいと思います。あるいは、後ろの「例」で「専門家」と「素人」を定義する、とか。強引に言い換えると、享受者はそこに住むことの「専門家」であり、設計者はそこに住むことの「素人」であるが、「素人」である設計者は建築の「専門家」であり、「そこに住むこと」を実現できるのです、実現できないという意味でいうと享受者は「素人」になるのですが、この役割分担は後半で使用されないので、かえって内容を混乱させてるだけです。

あとは、価値観が対立した場合にひとつにどうやってまとめていくのか、という視点が抜けているのがマイナス点でしょうか。これぐらいは気づくべき。たけのこの里派ときのこの山派の決着はつきません。私はたけのこの里派です。でも、この価値観は絶対にまとまりません。まとまらないときにどうするのか、という議論には触れるべき。

ざくざくっと添削しましたが、こんなところです。問2を好意的に採点すれば、問1に多少点数が入ってボーダーギリギリ。問1が全然だめだと思えば、問題外、といった感じの答案です。それでは。

【添削】2011年総合政策学部(このは様)

2011年総合政策学部

問①図利用
現在、日本では知識の有する度合いで、人間の価値を量ることが多い。多くの場合に学歴や、資格というものを基準に人生が左右される。そのことは、決して悪いことではない。しかし、行き過ぎた知識を重視する一方で、一人ひとりの知性や知恵を見極めることが、出来ていないと考えられる。
例えば、大学入試における入試選抜では、センター試験という試験で知識量つまり学力を数値化できる。またAO入試では、知性や知恵をある程度数値化できる。前者は、知識量のみで選抜されることが多い。後者は、知性や知恵の観点から選抜されることが多い。それにも関わらず互いの入学試験では、批判されることが多い。なぜ、今日には、様々な入学試験の方法が行われているが、批判されることが多いのか。そこには、一部分でしか見ないあるいは、見ることができない入学選抜の行い方が、関係しているのではないかと推測する。
大学受験における試験では、おもに科目ごとの習熟度の到達度を得点化し、上位の成績者から合格が決まる。これは、極めて効率的で、一般的に用いられる選抜としては納得のいく方法である。だが、知性や知恵などを見られる試験方法か疑問に思われる。AO入試では、この逆のことが、起こり、知恵や才能を見られる一方で、学力を量ることが多くの場合は行われない。つまり、知識と知性と知恵を多面的に見られないからこそ、現状の入学選抜では、批判的に見られていると思われる。
この点で、私は2段階選抜方式を紹介したい。まず、共通の一次試験にセンター試験を取り入れ、二次試験では、プレゼンや面接を用いて人物評価を行う。これらの考えは、一見して社会と無関係に思われるが、人物を多面的に見る点で、グローバルに活躍できる社会と考えることができる。また、この政策を実行するには、多大なコストや効率の面から見て、すぐに実現することは難しい。ただ将来的になし得ることができる。

問②図利用
問1では、大学入試における入試方式間の重視するものが、違うことを述べた。これに関し、これからの学問を資料6の設計科学及び認識科学に関連した論考をする。
まず、現在までに学問は特定の専門性を貫いて発展してきた。そのことは明らかで、この先も続くことが明白である。私たちは、義務教育を受け高等教育を受け、様々な学問の基礎を培ってきた。これを教養と呼ぶと総合政策的アプローチとは、教養に含まれているものの、別の手法で新たな学問と呼ぶことができるだろう。
それは、仮に事象Aと事象Bが存在し、理系という枠組みに分けるのではなく、事象Aと事象Bは理系の枠組みだが、あくまでも文系の枠組みにも含む、含まれるの関係である事を示すことである。このことにより、本来は理系の事象であることも、文系の枠組みで考えることができる。これは、教養つまりリベラルアーツの考え方に近いが、本質的には図に示した通りで異なる。さらに言えば、教養と総合政策的アプローチの違いは、枠組みの固定的な考えを捨て、事象間の関係を意識することであり、今までにない考え方だと思われる。
これらの総合政策的アプローチは問1で、思考を巡らせていた時に思いついた事である。今回の適性試験を受けるにあたり様々な、受験勉強をしてきた。その集大成として、今日、私なりの総合政策的アプローチを考えた。正しいと断定できる程の考え方かどうかは吟味が必要ではあるが、今後理系の学問、文系の学問を様々な視点から学んでいきたいと考えている。
当ブログコメント欄より

問1

この小論文も昨日添削した遠藤さんのと同じですが、「書くべきこと」がきちんと捉えられていません。
問1 資料1から資料6を参考にして、君が日本をデザインとするとき、1)どのような日本を良い日本だと考えますか、 2)その根拠となる価値観はどのようなものですか、3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと、の三点を説明してください(1から3の内容を含んで800字以内、解答欄の枠内であれば、図を挿入してもかまいません。)
これが設問です。

では、作成していただいた答案を読んで「どのような日本を良い日本だと考えるか」の答え、つまり「何がよい日本か」に対する答えはどこに書いてありますか?これがなければ、小論文としては採点すらできないんです。中身はゼロ点です。もちろん、読み手である私ががんばれば、「知的立国」とか「知識が重要」とかをなんとなく読み取ることはできます。但し、それは「読み手」の努力です。そうではなくて、書き手が「○○な日本が良い日本だ。」と断言せねばならないのです。

これが出来ているかどうかの簡単なチェック方法は「ワンワードで示す」です。

1)どのような日本を良い日本だと考えますか ...なんとなく知識やお勉強に関係しそう。
2)その根拠となる価値観はどのようなものですか ... 人を一面で評価すべきではない。
3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと...大学入試改革(人を多面的に計る)

私が書いていただいた小論文を読んでなんとなく埋まりそうな部分を適当に埋めました。けれども、上手な小論文は、ここが全てワンワードでしっかり埋まります。逆に言えば、小論文を書く人は、この各問に対して「ワンワード」で解答を作る。

おそらく発想の根本は「受験いやだ」とか「入試きらい」みたいな問題意識だと思います。発想のもとはそれでもかまわないんです。但し、単にそこからだと「どのような日本を良い日本だと考える」かというアイデアが出てきません。せめて「若者がやり直しできる国」ぐらいまでに変えないと。

次にやるべきは、この問題に対して「ワンワードで解答を作る」ですね。

問2

問2 問1の解題の過程で考えた、君の「総合政策学的アプローチ」とは何かを述べてください(600字以内、解答欄の枠内だれば、図を挿入してもかまいません。)
問2の問題文はこれですよね。そして答案が以下です。
問1では、大学入試における入試方式間の重視するものが、違うことを述べた。これに関し、これからの学問を資料6の設計科学及び認識科学に関連した論考をする。
まず、現在までに学問は特定の専門性を貫いて発展してきた。そのことは明らかで、この先も続くことが明白である。私たちは、義務教育を受け高等教育を受け、様々な学問の基礎を培ってきた。これを教養と呼ぶと総合政策的アプローチとは、教養に含まれているものの、別の手法で新たな学問と呼ぶことができるだろう。
それは、仮に事象Aと事象Bが存在し、理系という枠組みに分けるのではなく、事象Aと事象Bは理系の枠組みだが、あくまでも文系の枠組みにも含む、含まれるの関係である事を示すことである。このことにより、本来は理系の事象であることも、文系の枠組みで考えることができる。これは、教養つまりリベラルアーツの考え方に近いが、本質的には図に示した通りで異なる。さらに言えば、教養と総合政策的アプローチの違いは、枠組みの固定的な考えを捨て、事象間の関係を意識することであり、今までにない考え方だと思われる。
これらの総合政策的アプローチは問1で、思考を巡らせていた時に思いついた事である。今回の適性試験を受けるにあたり様々な、受験勉強をしてきた。その集大成として、今日、私なりの総合政策的アプローチを考えた。正しいと断定できる程の考え方かどうかは吟味が必要ではあるが、今後理系の学問、文系の学問を様々な視点から学んでいきたいと考えている。
私が先生なら、
問1では、大学入試における入試方式間の重視するものが、違うことを述べた。これに関し、これからの学問を資料6の設計科学及び認識科学に関連した論考をする。
まで読んだら、「いや?私が知りたいことってこれじゃないんだよ。いいから、キミの「総合政策学的アプローチ」を書いてよ。」と思います。

逆説的になります。私は小論文において「結論を先に書く」という書き方そのものに点数が入るとは思っていません。一方で「結論を先に書かれていない答案は何が言いたい答案かが分からない答案」でもあります。もちろん、いの一番に結論を書く事を常に求めるわけではありませんが(なぜならば小論文で重要なのは「結論を先に書く事」ではなく「イイタイコトを伝えること」だからです。)、特に文章を書くのに慣れていない人の場合、「結論が先に書かれていなければ」何が言いたいのかさっぱりわかりません。小論文を書く時は、ともかく常に「ワンワード」で答えを準備してください。

「キミの総合政策学的アプローチって何ですか?」この質問に対する答えを「ワンワード」で述べてください。
例えば「学問の壁を外す」かもしれませんし、「学問ではなく、物事を中心に考える」(対象を見る学問を先に決めてかかるのではなく、対象を中心に考え学問をあとから選ぶ)かもしれません。

そういう「ワンワード」の答えを先に準備することをしてみてください。

まずはそこから、です。

それでは。

【添削】総合政策・2011年(窮地様、プリン様)

窮地様

私は日本に暮らす外国人が住みやすいと感じ、国際情勢にかかわらず仲良く共存して暮らせる日本を「良い社会」だと考える。日本人だけの日本ではなく、外国人の為に配慮された国、そして互いに共存し合い、双方にとって住みやすい日本をデザインしたいと考える。現在日本には多くの外国人が住んでいる。日本に住んでいる外国人の中には全く日本語の読み下記が出来ない人もいる。なので私は、表示物は全て日本語表記と英語表記の二言語で表示すべきと考えた。確かに英語圏の外国人が全てと言う訳ではないが、第一言語が英語という理由でこのようにすべきであると考えた。まずは計画を実行に移すためには多大な経費がかかる。私はその経費を一部商品「タバコ、酒、外食etc」の消費税率を上げそこから出すことにする。そして国民が外国人の為にどの程度までなら税率を上げることが可能なのかを議論しなければいけない。また喫煙者や外食に行く機会が多い一人暮らしの層の意見や背景も考慮しなければならない。そして政府が積極的に計画を推進しなければならない。様々な側面を考慮した上で円滑に計画を進めていきたい。

プリン様

私は、国民一人ひとりが生活に満足し、経済的に発展し、その利益を環境保全に還元できる日本を「良い日本」だと考える。
 その根拠は、生活に満足していないと、向上心も競争心も生まれず、企業に有益な効果は望むことができないという価値観である。生活に満足していない原因は、日々仕事や時間に追われていることや、対人関係などのストレスであると考える。このストレスの原因は、日本が「不眠の国」と言われるくらいに睡眠時間を削って仕事をしていることや、一日のうち仕事が占める割合が多いことから、自分の趣味やリラックスのために時間をさけないことにあると考える。さらにこの原因は、資料4の「失われた20年」から読み取れるように、日本の企業が伸び悩んでいることにあると考える。これは、現在の日本の勤務時間が他国に比べて長いことに、原因があると考える。日本の勤務時間が長い原因は、残業である。他国にはこの残業の概念がなく、決められた一定の時間のみ、勤務する。同じ仕事量でも、日本ならば、「残業を使って終わらせればいいや。残業代も出るし。」というような、長期的で非効率的な考えを生み出す。一方、他国ならば、「勤務時間内に終わらせるぞ。」というような、短期的で効率的な考えを生み出す。この考え方の差が、資料3、4にあるような日本の国際競争力の劣化につながると考える。
 そこで、日本の経済が発展するように、短い時間で集中的に仕事に取り組むことを実現するためのプロセスとして提案する。そのために私がしたいことは、日本から残業の制度を廃止することである。このことによって、決められた一定の時間内に仕事を終わらせるよう、集中して仕事に取り組むことができ、各家庭内の時間が増えるだけでなく、企業が今まで払っていた残業代が浮く。このお金を環境保全に使えば、環境問題を解決することも可能になると考えるからである。

お二人分まとめて「論外」

・「この時期に設問1だけの添削は無意味」と思ってください。問1と問2は両方とも密接につながっているので、それを見ないで添削をするのは、ほぼレトリックの添削に近くなりますし、有効なアドバイスもできなくなります。問1と問2両方を同時に解く場合と、バラバラに解く場合で時間配分も違いますしね。もし、問1だけを個別に解いたのであれば、その時点で「解き方」が違います。
 この問題は
 1:「よい日本」を自分で設定できるか
 2:私がしたい、私ができる など 「自分が解決する」という観点で考えられるか
 3:「よい日本」を設定する際や「解決策」を考える際に、枠組みをフレキシブルに設定する方法論を意識したか
の3点を確認する出題です。このうち、3については問2にありますので、この問2の答案が書けるような「1」を設定しないとこの問題は2/3の得点を失います。そして、「私がしたい、私ができる」という観点が書いてない答案であれば、正直申し上げて「添削する場所」がないんです。したがって論じることができない、つまり論外の答案です。

しいて言えば窮地様のこれは、「私は日本に暮らす外国人が住みやすいと感じ、国際情勢にかかわらず仲良く共存して暮らせる日本を「良い社会」だと考える。日本人だけの日本ではなく、外国人の為に配慮された国、そして互いに共存し合い、双方にとって住みやすい日本をデザインしたいと考える。」は、単体でみた場合は「1」として、そこそこいい点が挙げられるかもしれないのに対し、プリン様の答案は私は、国民一人ひとりが生活に満足し、経済的に発展し、その利益を環境保全に還元できる日本を「良い日本」だと考える。
 その根拠は、生活に満足していないと、向上心も競争心も生まれず、企業に有益な効果は望むことができないという価値観である。
において「環境保全に還元できる」がとってつけた答案となっており意味をなしていないので点数としては窮地様よりも低くなるでしょう。

SFCの「私がしたいこと、私ができること」は、非常に厳格である

引用できない資料ですので、見て頂くしかないのですが、環境情報学の創造 第02回 の前半にある通り、「自分たちにできる問題解決」ということに徹底的にこだわります。方法論だけ提示して、「あとは偉い人任せた!」というやり方は、「問題解決」として認めていません。だから、この答案もそういう内容を書かなければいけません。窮地様は消費税率をあげたり、プリン様は残業をなくしたりできますか?できませんよね?

そうなると「SFCで活躍する素質のある人ではない」と判断されてしまいます。書いて頂いている解決策にも「穴」や「つっこみどころ」はたくさんありますが、それをいくら減らしたところで合格にはつながりません。根本のところできちんと対策をしない限りは。

ブロマガをご購読いただいていれば、「特講第13課 コンピテンシー小論文としてのSFC小論文」を読んでいただけると、この点はより伝わるか、と思います。

それでは。

【添削】総合政策・2011年(サムスン様)

問1
私は、地球資源と低所得労働者に優しいガラパゴス化生産を図った日本が良い日本だと考える。
 まず、現在、主流となっている大量生産は、地球資源を必要以上に浪費してしまう。したがって、これからは、地球資源を必要な分だけしか消費しない環境に優しい生産をするべきだと考えた。
また、大量生産は、賃金の安い国へと工場が流れ、産業の空洞化が起こる結果、低所得者層の職を奪ってしまう。したがって、工場が低賃金の国に流出することがない生産をするべきだと考えた。
このような日本を実現するために、日本は「ガラパゴス化生産」を行うべきだ。つまり、日本がケータイなどでガラパゴス化したように、各国の文化や資材に合わせた独自の商品を生産していくのだ。ガラパゴス商品は世界中では売れない「悪」の商品だが、国に合わせて生産されるため、その国の人にとっては「善」の商品だ。このガラパゴス生産は国の資源に合わせて必要な分だけの生産を行うため、環境に優しい。
まず、企業は率先して、生産方式を大量生産からガラパゴス化生産に切り替えていくべきだ。次にそれぞれの国のニーズに合わせて生産するため、世界各国に生産拠点を分散させる。そして各地で情報収集をすることで、日本の企業がガラパゴス化に「成功」したように世界各国でもガラパゴス化商品を生産していく。
つまり、日本人のための商品は日本で生産するのだ。このようにすることで、日本の工場は守られ、環境にも日本人労働者にも優しい日本にすることができる。
私がしたいことは、デジタルファブリケーションを用いて、様々な品種を扱う企業を設立することだ。デジタルファブリケーションを用いて、日本の文化・資材を上手く利用し、日本人のニーズに合わせた生産活動を日本で行うのだ。


問2

私の考える「総合政策学的アプローチ」とは、「分析」「計画」「実行」を伴ったプロセスからなる。
まず、現在でも主流に行われている大量生産に目をつけた。この大量生産を地球という大きな観点や日本の労働者という小さな観点から分析すると、「環境資源の浪費」「産業の空洞化」といった問題が起きていることがわかる。
次に、それらの問題が解決されたガラパゴス化生産が行われる日本を計画した。つまり、環境資源の浪費と産業の空洞化を引き起こしている大量生産をどのように変えていくかということを模索したのだ。
最後にそのガラパゴス化生産という解決策を用いて、時代や場所に合わせて、自分ならどのように実行するかを模索した。そして、私は近年、期待されているデジタルファブリケーションを用いて企業を設立することでガラパゴス化生産を行っていこうと考えたのだ。
以上が私の考える「総合政策学的アプローチ」である。
合格最低点ギリギリからプラス5点ぐらいで評価するか、足切りにひっかからないか、どっちかです。ちなみに、私が採点したら、足切り通しません。

一番重要なのは、「私がしたいこと」が、「私」の観点から書かれていないように見えることです。思い切って「自分ができる」のニュアンスを含めた答案の方がよいです。「自分」がきっちり入ってくるので。この答案だと、「この問題を解決するためには、デジタルファブリケーションを行う企業がもっと増えることが必要です」に対して、「私」という観点をつけくわえているだけに見えてしまいます。少なくともそういう答案と区別はつきません。だから、そこが一番の減点ポイント。
 もう少し具体性があれば、また評価は変わったかもしれませんが。ここで、「企業を設立したい」ので「SFCではこういうことを学びたい」という答案なら、私は「よい」と判断すると思います。それも書き方次第ですけれどもね。「企業を設立したいから、経営学の勉強をしたい」ならダメだと思います。デジタルファブリケーション固有の答案になってないので。

あとは「【添削】総合政策・2011年(formidable様)」と同じく「よい日本」が、「ある解決策を実行する日本」になっているところは、あまりよくないです。もっとも、次の文章である程度言いたい事が分かるので、【添削】総合政策・2011年(formidable様)よりは点数は高くなります。「私は、地球資源と低所得労働者に優しいガラパゴス化生産を図った日本が良い日本だと考える。 」の「優しい」は「ガラパゴス生産」にかかっているように見えちゃいますしね。

問2は6割から7割ぐらい点数ついてもいいと思います。全体的に、もう少し各ステップをまとめてもいいかもしれません。アプローチとして「大量生産」に目をつけるためのステップも分からないですし、「大きな観点」と「小さな観点」の違いももう少し明確にした方がより現実的な議論になったと思いますが、方向性としてはとてもいいと思います。全般的に「まとめ」と「具体例」をしっかりわけたり、今何を書いているのかをはっきりさせた方がいいかもしれません。問1で結局、「価値観」はどこで述べているのかがあいまいになっているので。「べき」から読み取れるだろう、という意見もあるとは思いますが。

あとは日本みたいに資源のない国で経済的鎖国に近い事を行うのはどうなんだろう、という反論は確実にありうるので、そういうものを意識しておくともっとしっかりした答案になると思います。

はなはだ簡単ながら。

【添削】総合政策・2011年(formidable様)

添削はするよ。するけどね...。添削での新しいお願いごとは読んでいただけましたか?
問1
 私は現代の偏差値重視の入学制度ではなく、むしろ個々のストロングポイントが重点的に評価される日本を「良い日本」だと考える。まず、総合的に学生を評価するのではなく、これまでの活動や功績を重点的に評価する。そこから社会で勝負できる人間を育成し、新たなイノベーションを生む。なので私は人間をペーパーテストの結果の良し悪しで判断する現代の入試制度を廃止する日本をデザインしたいと考える。その根拠となる価値観はそもそも尖った部分が違う人間を1つのテストでまとめて評価するのではなく、その尖った部分が評価されるべきだというものである。現にアメリカを初め、イギリス、ドイツ、また一部の欧州圏の国々では偏差値はない。アメリカのハーバード大学を一例として挙げれば、大学を志望する生徒を面接するのはなんと大学を卒業した生徒たち本人である。彼らはそれまでの人生18年間の功績を主に評価されるのだ。偏差値が80を超えている学生とネットビジネスで億単位を稼ぐ会社を設立した偏差値40程度の学生では、ハーバードが欲してる学生は後者なのである。国別のノーベル賞合計受賞者数では日本人が18人であるのに対しアメリカ人は326人、イギリス人108人、ドイツ人81人である。私はこの人数の差の根源は各国の教育制度や入学制度が大いに反映してると考える。まずは日本は偏差値重視の教育を変えるべきだと思う。以上を実行するためのプロセスとしてまず教育そのものを根本的に見直す必要がある。現代の小、中,高での学校の授業ではおおよそ思考が3、暗記が7の教育方針になっているが、簡潔に言えば、子供の無限の可能性、独創性を育てていく授業に逆転させる。そして大学側の入学受け入れの1つであるAO入試で獲得する生徒数を増やす。これにより平均的学生ではなく、個性が強い人間が入学することになり、最終的にイノベーションに繋がる。こうした教育のあり方を考え直して生きたい。


問2
私にとっての総合政策的アプローチとは、全体のパースペクティブを意識的に持ち、様々物事を考慮に入れて独自の基準を開発しそれに向けて客観的立場で近づいていくことだいうものである。1960年代の高度経済成長期では他国に追いつくために、他の国が成し遂げたことを真似するだけである程度経済は繁栄した。しかしある程度経済が繁栄した日本ではもはや他国を真似するのではなく、独自で生み出していく立場に立たないといけないのである。これは資料2で言及されているように、アジアにおいて絶対的地位を築いているといえない現代において、これほどまでに個人単位での創造性、独創性が必要とされている時代はないのではないだろうか。資料5では、ハーバード大学のマイケル=サンデスル教授が、大学の果たす役割の重要性を言及している。どの側面からみても経済繁栄の出発点はやはり教育である。3、で挙げた実行のためのプロセスについては資料4,5,6を参考に、様々な立場の人間に配慮し、大学側の受け入れの基準を再考し直し、個々のストロングポイントの強化に図りたい。以上が私が考えた総合的アプローチである。

問1

問1の文章を読んで次の設問に答えよ。
1:問1 資料1から資料6を参考にして、君が日本をデザインとするとき、
1)筆者はどのような日本を良い日本だと考えますか
2)その根拠となる価値観はどのようなものですか
3)筆者は「実現のためのプロセス」をどのように考えていますか。
4)筆者は、その実現のために、どのようなことができる、あるいは、どのようなことをしたいと考えていますか。

特に4はどこにありますか?この時点で論外。私にできるアドバイスは「設問をしっかり理解して、設問に合わせて答えを書きましょう」となります。

あと、まず「よい日本」の定義と「実現のためのプロセス」がごちゃごちゃになっています。「私は現代の偏差値重視の入学制度ではなく、むしろ個々のストロングポイントが重点的に評価される日本」と「思考が3、暗記が7の教育方針になっているが、簡潔に言えば、子供の無限の可能性、独創性を育てていく授業に逆転させる。そして大学側の入学受け入れの1つであるAO入試で獲得する生徒数を増やす。」はほぼ同義です。

明確には、読み取れませんが、この状況ではこう捉えているのでしょう。
 <よい日本>恐らくは「今後も経済的に繁栄する日本」あるいは「独創的な価値を生む日本」
 <価値観>=不明。経済的に繁栄する国がよい、に近い。
 <実現のためのプロセス>教育業界へのてこいれ(偏差値教育や、初等教育の改革)
   (転じて、「現行の教育業界」が原因となり、「よい日本」が実現していないと考えている)
判断の仕方でよくある方法は、「よい日本」は「○○な日本」だ、と言った場合、「○○」が実現すれば、それ即ち「よい」となるものが「よい」であり、「価値観」です。この「私は現代の偏差値重視の入学制度ではなく、むしろ個々のストロングポイントが重点的に評価される日本」が実現したところで、企業が従来の採用方針を変えなかったり、官公庁も引き続きペーパーテストを続けるのを止めなければ、教育改革の効果は限定的で、おそらくはformidable様の思う「よい日本」にはならないと思います。そうですよね?そうであれば、ここでいう「よい日本」の設定自体がおかしいのです。

いま「これが問題だと思っていて、その原因がこれであり、これを解決する方法が教育だから、教育改革する日本が「よい日本」だ」と述べているに過ぎません。どこまで厳密に考えるか、という観点はあるものの、さすがにこの答案はイマイチです。

私は現代の偏差値重視の入学制度ではなく、むしろ個々のストロングポイントが重点的に評価される日本を「良い日本」だと考える。既述のため割愛。まず、総合的に学生を評価するのではなく、これまでの活動や功績を重点的に評価する。総合的→偏差値的では?そこから社会で勝負できる人間を育成し、新たなイノベーションを生む。「これまでの活動や功績を重点的に評価された人間」が「新たなイノベーションを生む」のつながりが不明。

なので私は人間をペーパーテストの結果の良し悪しで判断する現代の入試制度を廃止する日本をデザインしたいと考える。減点されないとは思いますが、「なので」→「だから」などの方がベター。他は既述なので割愛。その根拠となる価値観はそもそも尖った部分が違う人間を1つのテストでまとめて評価するのではなく、その尖った部分が評価されるべきだというものである。これって、問2にありますが、こういう人材が生む日本が今よりも「よい日本」なんですよね。そうであれば、その日本を書くべき。現にアメリカを初め、イギリス、ドイツ、また一部の欧州圏の国々では偏差値はない。これを書くと「アメリカ・イギリス・ドイツなどの欧米」が即よいように見えてします。アメリカのハーバード大学を一例として挙げれば、大学を志望する生徒を面接するのはなんと大学を卒業した生徒たち本人である。彼らはそれまでの人生18年間の功績を主に評価されるのだ。偏差値が80を超えている学生とネットビジネスで億単位を稼ぐ会社を設立した偏差値40程度の学生では、ハーバードが欲してる学生は後者なのである。ここまで何がいいたいのか不明。これは「ハーバード大学」が「よい」ということを前提としないと議論として成立しません。国別のノーベル賞合計受賞者数では日本人が18人であるのに対しアメリカ人は326人、イギリス人108人、ドイツ人81人である。私はこの人数の差の根源は各国の教育制度や入学制度が大いに反映してると考える。かもしれません。では、ノーベル賞をたくさんとれる国がよい国なの?まずは日本は偏差値重視の教育を変えるべきだと思う。これは、「よい日本」でも「価値観」でも何でもありません。以上を実行するためのプロセスとしてまず教育そのものを根本的に見直す必要がある。はい。現代の小、中,高での学校の授業ではおおよそ思考が3、暗記が7の教育方針になっているが、簡潔に言えば、子供の無限の可能性、独創性を育てていく授業に逆転させる。どうやって?ゆとり教育ですか?そして大学側の入学受け入れの1つであるAO入試で獲得する生徒数を増やす。うーん。なんでAOならいいの?これにより平均的学生ではなく、個性が強い人間が入学することになり、最終的にイノベーションに繋がる。大学生の人数変わらないですけれどもね。こうした教育のあり方を考え直して生きたい。 決意表明どもです。でも、点数にはなりません。

とにかく、これを読んでいても現実感がないです。特に話題の「ゆとり教育」は、「独創性」や「個性」を豊かにするために行われたはずなのに、そう変わってませんよね?「子供の無限の可能性」や「独創性」という綺麗な言葉でごまかしていて、現実味のない議論です。この答案は。あと「イノベーション」って何ですか?それっていいものですか?どのように?よい日本と何かつながりがあるんですか?新しい教育とはどうつながりが?
 ・まずは設問にしたがって書くこと
が最優先です。その上で、この問題では設問で定められた内容についてあなたが考えることを論じることが重要。SFC小論文はあなたの数値や知識を披露する場ではありません。あなたの書いた知識が「独創的(私は個性的)」でなければ、どれだけ書いた内容や知識が正しくとも評価されるものではありません。最後に極めつけにとどめをさすと、問2で「1960年代の高度経済成長期では他国に追いつくために、他の国が成し遂げたことを真似するだけである程度経済は繁栄した。しかしある程度経済が繁栄した日本ではもはや他国を真似するのではなく、独自で生み出していく立場に立たないといけないのである。」と書いているのにも関わらず、あなたの小論文では、欧米の教育礼賛で解決策も欧米のまねごとですか?さすがに議論に一貫性がありません。この答案では、偏差値教育によって詰め込まれた「教育に関する問題点」をただ答案にぶちこんだだけの答案としか読んでもらえませんよ。

問2

問2はもはや論じることができないのですが、
私にとっての総合政策的アプローチとは、全体のパースペクティブを意識的に持ち、様々物事を考慮に入れて独自の基準を開発しそれに向けて客観的立場で近づいていくことだいうものである。総合政策学的アプローチです。という毎度のツッコミはおいておいて、「様々物事を考慮に入れて独自の基準を開発しそれに向けて客観的立場で近づいていく」の部分が設問部分には書いていないので、それが詳しく書いてあると思いきや。1960年代の高度経済成長期では他国に追いつくために、他の国が成し遂げたことを真似するだけである程度経済は繁栄した。しかしある程度経済が繁栄した日本ではもはや他国を真似するのではなく、独自で生み出していく立場に立たないといけないのである。これは資料2で言及されているように、アジアにおいて絶対的地位を築いているといえない現代において、これほどまでに個人単位での創造性、独創性が必要とされている時代はないのではないだろうか。で「独創性」だけをここで強調して(あえて言えばこれが「独自の基準」)、資料5では、ハーバード大学のマイケル=サンデスル教授が、大学の果たす役割の重要性を言及している。どの側面からみても経済繁栄の出発点はやはり教育である。と、なぜか「教育」を礼賛し、あいまいなまま3、で挙げた実行のためのプロセスについては資料4,5,6を参考に、様々な立場の人間に配慮し、大学側の受け入れの基準を再考し直し、個々のストロングポイントの強化に図りたい。お茶を濁しているだけです。以上が私が考えた総合的アプローチである。これはあってもなくてもOK。
教育を観点に書いてみました。
時間は3時間弱 

問1から2に入るまでに15分ほどなにを書けばいいか悩みました。
一日で一本の小論文で悩む時間はこれが上限だと思います。個人的には、無駄な事例を並べる時間分、しっかりと設問を読み込んでほしいところです。

まずは、設問を読んでください。はなはだ簡単ながら。

【添削】総合政策・2011年(カズキ様)

あけましておめでとうございます。二回目の投稿となります。採点お願いします。
あけましておめでとうございます。もうさすがにこの挨拶をするのはちょっと照れちゃいますね。
問1

私が考えるよい日本とは、より市民の声が行政に反映され易い国家だ。根拠となる価値観は、成熟社会では経済ではなく市民の幸福を目指すべき、というものだ。その一例として資料四では、ブータンが健全な経済発展と開発をしたところ、国民の幸福度が上がっている。つまり、市民を第一に考えた政策を実現し易くする必要がある。
その実現のための政策とは、いわゆる地方分権化だ。先程のべた通り日本は成熟社会に突入した。かつて中央集権化することで成功した画一的政策は、既に現状と合致しない。例えば生活に密着した政策である公共事業は、より地域の声が反映されやすくなるべきだ。この点は、地方に財源と権限を委託すれば、確実に解消されるだろう。
ただし、地方分権を行う際に気を付けるべきことが二点ある。まず一つ、いくら地方に権限を委託しても、国は国民の最低限の生活、つまりナショナル・ミニマムは補償しなくてはいけない、ということだ。財政格差のある地域には、国が補助金という形で援助する必要がある。
二つ目の注意点として、その補助金はひも付き補助金ではなく、自由に扱える交付金でなくてはならない。というのも、ひも付き補助金では、もし地方が繁栄し税収が増えるほど、補助金が減っていくので、地方の自助努力に欠けるからだ。これでは地方分権の意味がなくなり、前提となる価値観が守れなくなる。以上二点を注意した地方分権を行えば、より市民の意見を反映されやすくなるだろう。
最後に私自身がしたいことは、NPOを設立し、分権化により負担が増した地方の手助けをすることだ。例えばある一定のエリアの意見をNPOがまとまれば、地方が全地域の意見を調べるよりは、負担が軽くなるだろう。


問2
私が問一で考えた「総合政策的アプローチ」は、四つのプロセスで構成される。以下、順を追って説明する。
まず第一のプロセスは「価値観を設定し、現状を悪いと示すこと」だ。今回の場合、価値観は、「成熟社会では市民の幸福を第一に考えるのが良いことで、経済を第一に考えるのが悪いことと」とした。そして、欧米諸国に追いつくためにインフラを強化しようとした中央集権体制は、経済を第一としているために悪いこととみなした。
現状を悪い、つまり問題とみなした後は、その問題の原因を探る。これが第二のプロセスだ。今回の場合、国民が幸福にならないという問題の原因を、成熟社会に突入し、公共事業などの市民の生活に密着した政策が増えたためとした。言い換えれば、中央集権の画一的政策では追いつかなくなったのである。
原因を見つけた後は、その原因に対応する解決策を検討する。今回の場合は地方分権である。財源と権限を委託すれば行政範囲は縮小し、市民の声が反映され易いと考えた。
最後のステップは、政策実現の際の注意点の検討だ。今回は、国の最低限の補償と、自由に使える交付金、という注意点が見つかった。

終わりに
正直総合政策の小論は苦手です…
ただ、地方分権というのは私が総合政策学部に合格した際は研究していきたいテーマの一つです。
また、おそらく、本番でもこの考えをベースに書く可能性があります。
政策自体に穴があれば指摘していただきたいです。

総括

「総合政策的アプローチ」ではなく、「総合政策学的アプローチ」です(笑)。問1が偏りすぎているのが気になります。あと問2は「パースペクティブ」や「ズーム」の話を多少なりとも書かないとダメだと思います。資料文のまとめ部分でわざわざ「主要な」と書いていますしね。

問1は、
問1 資料1から資料6を参考にして、君が日本をデザインとするとき、1)どのような日本を良い日本だと考えますか、 2)その根拠となる価値観はどのようなものですか、3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと、の三点を説明してください(1から3の内容を含んで800字以内、解答欄の枠内であれば、図を挿入してもかまいません。)
ですよね。私が考えるよい日本とは、より市民の声が行政に反映され易い国家だ。根拠となる価値観は、成熟社会では経済ではなく市民の幸福を目指すべき、というものだ。その一例として資料四では、ブータンが健全な経済発展と開発をしたところ、国民の幸福度が上がっている。つまり、市民を第一に考えた政策を実現し易くする必要がある。が(1)と(2)で、最後に私自身がしたいことは、NPOを設立し、分権化により負担が増した地方の手助けをすることだ。例えばある一定のエリアの意見をNPOがまとまれば、地方が全地域の意見を調べるよりは、負担が軽くなるだろう。 が(3)の「君自身ができることあるいはしたいこと」ですよね?間の文章が全て「プロセス」というのは、「やりすぎ」な気がします。

私が考えるよい日本とは、より市民の声が行政に反映され易い国家だ。出だしはOK。根拠となる価値観は、成熟社会では経済ではなく市民の幸福を目指すべき、というものだ。この前の「経済」は国家経済をさすはずですが、略し過ぎ。地方経済もあるはずですよね?その一例として資料四では、ブータンが健全な経済発展と開発をしたところ、国民の幸福度が上がっている。ここも健全の意味をもう少し自分の考え方に合わせて書くべき。文章表現通りにそのままで読むと前の文で「経済ではなく、」といっているのに、「健全な経済発展」と書いていて、何が言いたいかここで破綻しますよね?だから、破綻しないように、言葉をつけたさないといけません。つまり、市民を第一に考えた政策を実現し易くする必要がある。 あんまり、つまってないので、ここをつまるように前文を書き換えてください。あと、国民概念と市民概念は単なる公の範囲を「国」と「市」と変えているのとは異なる読み方をする人もいますので注意が必要。というより、カズキ様は使い分けてないですよね(笑)。適当に書いてる。その言葉の使い分けはともかく読む側にとっては混乱のもとです。その実現のための政策とは、いわゆる地方分権化だ。いわゆっているかどうかは別にしてOK。先程のべた通り日本は成熟社会に突入した。かつて中央集権化することで成功した画一的政策は、既に現状と合致しない。「現状」はもう少し分かりやすく書くべきでしょうか。後ろの「例えば」でなんとか補間されますけれどもね。例えば生活に密着した政策である公共事業は、より地域の声が反映されやすくなるべきだ。これはまぁほぼその通りです。ただ、なかなかそれだけではないのがこの問題を難しくしているのです。例えば、九州のある地域の交通渋滞を解決することで、より九州の農産物が日本中に低コストで届くようになれば、国全体がうるおうわけです。そうならば、実は道路財源ってどこが負担すべき?って話が複雑化します。「産業連関分析」といってけっこういろんな人がやっています。この出題に関して言えば、「ズーム」や「パースペクティブ」の一つとして、「国」ではなく「地域」へのズームを行っているので意識したいところではあります。この点は、地方に財源と権限を委託すれば、確実に解消されるだろう。 財源と権限の配分でひともめあるでしょうが。
ただし、地方分権を行う際に気を付けるべきことが二点ある。これはまぁOK?まず一つ、いくら地方に権限を委託しても、国は国民の最低限の生活、つまりナショナル・ミニマムは補償しなくてはいけない、ということだ。私はこの論調好きではないですけれどもね。地域に財源を任せたんだったら、格差はあってもしかたないと思いますよ。憲法をどう解釈するか、で分かれますけれどもね。財政格差のある地域には、国が補助金という形で援助する必要がある。 これも好きではありません。どれだけお金があっても、そのお金の使い方が下手な人たちが集まってたら意味がないですよね。例えば、○○県△△村にお金が交付されたとして、それをうまく道路計画に使えるかどうかは別問題ですよね。人材の補助という考え方もあります。途上国へは人材派遣という補助は一般的ですよね?二つ目の注意点として、その補助金はひも付き補助金ではなく、自由に扱える交付金でなくてはならない。ここまではOK。というのも、ひも付き補助金では、もし地方が繁栄し税収が増えるほど、補助金が減っていくので、地方の自助努力に欠けるからだ。うーん。ある特定の法律に基づく「ひも付補助金」ではなく、一般的な「ひも付補助金」という言葉では「第一義が、用途の定められた補助金」という意味になるので、このままでは誤解が生じるのでは?というより、ここは「意味不明」というべきですね。文脈では、「ひも付補助金」の意味は「用途の定められた補助金」と読むことであっていそうなので、突然地方の努力と金額の多寡の議論が出てくるので、混乱します。これでは地方分権の意味がなくなり、前提となる価値観が守れなくなる。まぁ、これはこれでいいです。以上二点を注意した地方分権を行えば、より市民の意見を反映されやすくなるだろう。 まとめとしてはありです。
最後に私自身がしたいことは、NPOを設立し、分権化により負担が増した地方の手助けをすることだ。ここ意味不明。「分権化により負担が増した地方の手助け」って何?例えばある一定のエリアの意見をNPOがまとまれば、地方が全地域の意見を調べるよりは、負担が軽くなるだろう。 「地方」「エリア」「地域」の言葉定義が曖昧なので、きちんと読み取れません。。似たような言葉を一文に、並べない方がいいと思いますよ。「地方」は「地方分権」で権利を与えられた主体、「エリア」はその主体の権利が及ぶ範囲、「地域」は「エリア内を何らかの基準で区分し、その区分エリア内の住民」ぐらいの意味なんでしょうけれどもね。読み取ろうと思えば「地域=エリア」として読み取ることもできますし。(要は「NPOが代表地域の意見をまとめて、全地域の意見をそれに代える」という意味ですね。)
問2
私が問一で考えた「総合政策的アプローチ」は、四つのプロセスで構成される。以下、順を追って説明する。
まず第一のプロセスは「価値観を設定し、現状を悪いと示すこと」だ。今回の場合、価値観は、「成熟社会では市民の幸福を第一に考えるのが良いことで、経済を第一に考えるのが悪いことと」とした。そして、欧米諸国に追いつくためにインフラを強化しようとした中央集権体制は、経済を第一としているために悪いこととみなした。
現状を悪い、つまり問題とみなした後は、その問題の原因を探る。これが第二のプロセスだ。今回の場合、国民が幸福にならないという問題の原因を、成熟社会に突入し、公共事業などの市民の生活に密着した政策が増えたためとした。言い換えれば、中央集権の画一的政策では追いつかなくなったのである。
原因を見つけた後は、その原因に対応する解決策を検討する。今回の場合は地方分権である。財源と権限を委託すれば行政範囲は縮小し、市民の声が反映され易いと考えた。
最後のステップは、政策実現の際の注意点の検討だ。今回は、国の最低限の補償と、自由に使える交付金、という注意点が見つかった。
ここは軽くまとめ程度に。問題文上で、「ズーム」「パースペクティブ」が主要である、と限定しているので、この問題では、そこに着目したまとめをした方がいいと思います。

全体としては、「総合政策的アプローチv」として、私がこのブログで書いている妄想wが、きれいにまとまっていると思います。ただ、ここで問われているのは「総合政策学的アプローチ」であって、その概要は問題文上できちんと書かれているので、それについて書くべきです。「総合政策的アプローチ」と「総合政策学的アプローチ」は似て非なるものです。日本で「総合政策的アプローチ」という言葉を使っている専門家もいろいろいますが、そのどれも定義が違います(気になれば、ぐぐってみてください)
終わりに
正直総合政策の小論は苦手です…
ただ、地方分権というのは私が総合政策学部に合格した際は研究していきたいテーマの一つです。
また、おそらく、本番でもこの考えをベースに書く可能性があります。
政策自体に穴があれば指摘していただきたいです。
まぁ、あんまり総合政策学部の小論文と分けて考えない方がいいですよ。特に「日本のデザイン」というテーマの「デザイン」は環境情報学部のお得意分野です。とは、何度も指摘している通りです。

地方分権について書くのであれば、「地方」について理解を深めた方がいいと思いますよ。地方といっても、数件単位の集落単位から、市町村単位、県単位etcあると思います。そのうちのどれにどのような権限を委譲するのか、それがなければただのお題目になってしまいます。(個人的には、日本中の全地域に「地方分権」が行われて、その権限をうまく使える人材がいないと思っています。もちろん、すごい人材がいる地域もありますけれどもね。)。そして、それが終わった後の「国」の役割ですね。この問では、セーフティネットとして定義していますが、本当にそれでいいのか、とかね。国は国で総体としての力が必要ですし。オリンピックを誘致したいとして、各地域が勝手にアピールして「東京」と「大阪」2地域が別々に立候補したら困るでしょ?「地方分権」というテーマについて書きたいのであれば、「地方」と「国」に分けてもう一度、頭の整理をし直した方がいいかもしれません。

少なくとも「地方の方が地元のことをよく知ってるから、彼らに任せた方がうまくいくよ」程度の理解だけで勝負するのはつらいです。根本はそこにあるとしても。

【添削】総合政策・2011年(あすれ様)

所要時間150分

問1

私の考える良い日本とは、誰でも気軽に政治に関わることができる日本である。

現在の日本では政治は複雑化し、政治に関する専門知識の少ない一般人は政治に関わりづらいものになっている。というのも、政治家やメディアは専門用語ばかりを振り回すために、政治は遠い存在だという無力感を国民にもたらすからである。そうして国民の政治への関心が低下すれば、政治は国民から離れて独立したものとなり、政治家個人の独断と価値観で行われるものになってしまうだろう。そうなれば民意は反映されにくくなってしまうため、民主主義をとる日本では大きな問題になるというのが私の価値観である。

行政の独立かを防ぎ、誰でも気軽に政治に参加できる日本を実現するために私が考えるプロセスは2つある

一つは新聞、テレビをはじめとするメディアが中心となって、誰にでもわかりやすい客観的な報道を心がけるべきだ。そのためにはメディアは専門用語を極力用いずに、できるだけ簡潔かつ明瞭に政治を解説していくべきだ。また、テレビの国会中継などでも、副音声で議論の解説を導入するなどして上手く機能させていく必要があるだろう。

二つ目は政治家と国民が議論できる場を定期的に設けることである。具体的には現在裁判で導入されている陪審員性のように無作為に国民を選出し、議論に参加させるような制度の導入である。この制度が導入されれば、国民は政治に無関心ではいられなくなるだろうし、そこでは政治家は誰にでもわかるように議論をしなければならなくなるので、政治家と国民は双方向的な関係を築くことができるだろう。また、多様な意見を持つ国民と政治家が意見を交わすことで、政治家だけでは気付くことができなかった価値観や考え方に気づかされ、政治の運営にもプラスの効果をもたらすだろう。


問2

私の考える総合政策学的アプローチは、自らの価値観に基づき問題を発見、そして分析し全体のパースペクティブを意識した上で解決策を打ち出し、問題を解決することである。

問1ではこのアプローチを日本の政治に当てはめて考えた。このときの私の価値観とは日本は民主主義を採っているのだから政治家や一部の人間だけでなく、国民全員の意見を取り入れなければならないということである。そして政治家の意見ばかりで政治を行うことを問題として捉えた。その問題を解決するためには国民が気軽に政治に参加できるような仕組みをつくらなければならない。ただ、国民の意見は十人十色であり、政治において全てを実現するのは不可能であるから、そこで政治家がそれぞれの意見の妥協点を見出し、それを政治に反映していくことが必要である。このように国民の意見の妥協点を探すことが全体のパースペクティブを意識することであり、自分の独断ではなく民意を汲み取った政治家が政治を行っていくことが問題を解決策である。

以上が私が問1の過程で考えた「総合政策学的アプローチ」である。

結論:設問をしっかり読んで!!

問1の詳解

私の考える良い日本とは、誰でも気軽に政治に関わることができる日本である。 ここまでOK。現在の日本では政治は複雑化し、政治に関する専門知識の少ない一般人は政治に関わりづらいものになっている。とりあえずよしとしましょう。というのも、政治家やメディアは専門用語ばかりを振り回すために、政治は遠い存在だという無力感を国民にもたらすからである。ここは怪しいかもしれません。今は分かりやすい「政治」を目指す人たちが増えていますよ。「国民の生活が第一」なんてすごく分かりやすいかもしれませんよね。そうして国民の政治への関心が低下すれば、政治は国民から離れて独立したものとなり、政治家個人の独断と価値観で行われるものになってしまうだろう。そうなれば民意は反映されにくくなってしまうため、民主主義をとる日本では大きな問題になるというのが私の価値観である。 あなたの価値観か民主主義の価値観かどちら?このままでは、あなたの価値観は「国の方針に合わせる」という価値観に見えてしまいますが。

行政の独立かを防ぎ、誰でも気軽に政治に参加できる日本を実現するために私が考えるプロセスは2つある

一つは新聞、テレビをはじめとするメディアが中心となって、誰にでもわかりやすい客観的な報道を心がけるべきだ。そのためにはメディアは専門用語を極力用いずに、できるだけ簡潔かつ明瞭に政治を解説していくべきだ。また、テレビの国会中継などでも、副音声で議論の解説を導入するなどして上手く機能させていく必要があるだろう。

二つ目は政治家と国民が議論できる場を定期的に設けることである。具体的には現在裁判で導入されている陪審員性のように無作為に国民を選出し、議論に参加させるような制度の導入である。この制度が導入されれば、国民は政治に無関心ではいられなくなるだろうし、そこでは政治家は誰にでもわかるように議論をしなければならなくなるので、政治家と国民は双方向的な関係を築くことができるだろう。また、多様な意見を持つ国民と政治家が意見を交わすことで、政治家だけでは気付くことができなかった価値観や考え方に気づかされ、政治の運営にもプラスの効果をもたらすだろう。
3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと、の三点を説明してください。とありますが、この「君自身ができること」あるいは「したいこと」は答案のどこにありますか。論理的にきれいに書けている分、こういった設問の読解ミスは致命的です。「あ、これ全部ダメじゃん」ってすぐ分かっちゃいますから。論理的に書けていない人の文章は、「好意的に見てポイントを拾うことで論理を脳内保管する」という採点者の荒技があるので。

問2の詳解

ちなみにこの問2は採点できません。問1がまちがっているので、不合格の確率が高い答案です。>b>私の考える総合政策学的アプローチは、自らの価値観に基づき問題を発見、そして分析し全体のパースペクティブを意識した上で解決策を打ち出し、問題を解決することである。 私が考えたようには見えませんが、まとめとしてはきれいです。問1ではこのアプローチを日本の政治に当てはめて考えた。なぜ「日本の政治」に着目したかはいれてもいいかもしません。出題が「日本のデザイン」なので。このときの私の価値観とは日本は民主主義を採っているのだから政治家や一部の人間だけでなく、国民全員の意見を取り入れなければならないということである。「私の価値観」と「民主主義を採っているから」はやはりそぐわない気がします。そして政治家の意見ばかりで政治を行うことを問題として捉えた。その問題を解決するためには国民が気軽に政治に参加できるような仕組みをつくらなければならない。ここまでは論理的にはきれい。ただ、国民の意見は十人十色であり、政治において全てを実現するのは不可能であるから、そこで政治家がそれぞれの意見の妥協点を見出し、それを政治に反映していくことが必要である。政治家の役割を論じている点でおもしろいですが。このように国民の意見の妥協点を探すことが全体のパースペクティブを意識することであり、自分の独断ではなく民意を汲み取った政治家が政治を行っていくことが問題を解決策である。論理的にはきれいですけれども得点にはならないです。「君自身がしたいこと」や「できること」が問われているのですから。以上が私が問1の過程で考えた「総合政策学的アプローチ」である。あってもなくてもよいです。

今後のアドバイス

「設問を読んでください」。前回は、ブロマガ読まなくてよい、と書きましたが、よろしければ読んでみてください。「設問」への意識が甘過ぎます。

あなたが仮に好きな異性に告白をしたとします。そして、「告白の返事をする前に1つ質問していい? もし俺(私)とつきあったら行きたい場所は?」と聞かれたとします。(そんな人に今まで会ったことないけど。)あなたは、頭の中で確実にいろいろ「いい答え」を考えるはずです。相手の性格や知っている趣味からも推測して答えるかもしれません。今回あなたはこう答えました。

「ホチキスっていうかステープラ。」

どんな不思議ちゃんやねん、お前は。天然系の女の子(男の子)を好きな男の子(女の子)以外は、こんな返事聞いたら、たぶん「お友達でいましょうね」って返事しか返ってこないですよ。

SFCという大学とつきあうためにSFCが出してきた質問です。「相手に対するよい答え」を出す以前に「質問に合った答え」を書きましょう。それが最低限の必要事項です。今回は「私が考えるプロセス」ではなく「君自身ができることあるいはしたいこと」を尋ねられてるのです。それにあった答えをしましょう。

そうしなければいつまでたってもよい小論文は書けません。

【添削】総合政策・2011年(しまじろう様)

問1
 私は、人々が一定以上の経済的な豊かさをだけでなく、精神的な豊かさも享受できる日本がよい日本だと考える。資料2からわかるように、日本人は世界的に見て高水準の生活を送っており、すでに一定以上の経済的豊かさは享受している。従って、私の考える良い日本を実現するためには、人々が精神的な豊かさを享受できるようにすればよい。
 この展望の根拠となる価値観は、人が幸福な人生を送るためには経済的な豊かさだけでなく精神的な豊かさも必要である、というものだ。実際にブータンでは経済だけでなくそれ以外の文化や環境といった面を重視している。その結果、国勢調査において、国民の9割が幸福だと回答している(資料3)。そのため、私は経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも幸福の条件だと考えるのである。
 繰り返すが、私の考えるよい日本を実現するには人々が精神的な豊かさを享受できるようになればよい。それでは、日本人にとって精神的な豊かさとは何なのだろうか。近年、日本ではSNSの利用者が急増しており、ネット上で新たな人間関係を構築していく動きが広まっている。このような状況は、現実世界で人とのつながりが希薄になっていることの表れではないだろうか。つまり、現実世界で感じられなくなった人とのつながりや絆をネット上に求めているということである。以上のことから、私は日本人にとっての精神的豊かさとは人とのつながりや絆だと考える。
 人々が人とのつながりや絆を実感するには、こうしたネット上の人づきあいを発展させるべきだ。例えば、ネット上での知り合いと実際に会うこと、いわゆるオフ会を開催して仲を深める。しかし、こうしたオフ会は未成年や女性には危険が伴う。そうしたこともあり、日本にはオフ会という文化が広く普及しているとは言えない。私は、そうした危険性を排除し、安全安心なオフ会を開催できるようなサービスを提供する仕事をしたいと考えている。

問2
 まず、人は幸福な人生を送るべきだという価値観を前提に新たな価値観の設定を行った。この際、ある枠組みの中で考えた最適解が別の枠組みで考えると最適解にはならないこと、つまりある価値観のもとでは最適となる解決策が別の価値観から考えると最適ではない、ということを意識した。そして、複数の価値観をすり合わせ新しい価値観を設定した。問1では、人間が幸福に生きるには経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも必要であるという価値観を設定した。
 次に、ここで設定した価値観をもとに問題の設定、分析を行った。設定した価値観をもとに、よい日本を実現するめに足りていないものを特定、つまり問題を設定した。問一では精神的豊かさを享受できていないことを問題とした。さらに、問題の分析をした。問一では、日本ではSNSの利用者が増加しているという状況を根拠として、精神的豊かさという抽象的なものを人とのつながりや絆と定義した。最後に、分析をした問題の解決策を設定した。
 以上が、私が問1の過程で考えた「総合政策学的アプローチ」である。

問1の詳解

私は、人々が一定以上の経済的な豊かさをだけでなく、精神的な豊かさも享受できる日本がよい日本だと考える。全体を読むと、この1文目がイマイチなんですよね。「私は、つながりや絆を大事にする日本がよい日本だと考える。」と先に書くべきです。いろいろある「精神的な豊かさ」のうち、「つながりや絆」について、書こうとしているので、それを先に書くべきです。そうでなければテーマがぼんやりとしてしまいます。資料2からわかるように、日本人は世界的に見て高水準の生活を送っており、すでに一定以上の経済的豊かさは享受している。従って、私の考える良い日本を実現するためには、人々が精神的な豊かさを享受できるようにすればよい。 この部分の隠れた前提は「人は幸せになるべきである」かつ「幸せになるためには、精神的な豊かさと経済的な豊かさの双方が必要である」です。次の部分で述べるので、問題はないですが、意識しておく必要はあります。また、日本では「精神的な豊かさ」が享受できていないことを証明していないので、論理的にはこの流れはあまりよくありません。
 この展望の根拠となる価値観は、人が幸福な人生を送るためには経済的な豊かさだけでなく精神的な豊かさも必要である、というものだ。とりあえず、これはいいことにしておきましょう。但し、結局注目する予定の「つながりや絆」との関連性が分かりづらいことには注意が必要。実際にブータンでは経済だけでなくそれ以外の文化や環境といった面を重視している。その結果、国勢調査において、国民の9割が幸福だと回答している(資料3)。これは論理的には間違いです。「国民の9割が幸福だと回答していること」と「ブータンが精神的な豊かさも重視している」ことの因果関係は示されていないので。「Aくんはかっこいい。」「Aくんはよくモテる」という2つの事実があった場合に、「Aくんはかっこいい結果、よくモテる。」と結論するのは論理的にはあやまりです。ここで論理構成として「ブータンは国民の9割が幸せだと思っているから、私はブータンのようなやりかたを参考にしたい。」と論じたいのであればかまいませんが、ブータンの事例から「幸せになるためには経済的豊かさと精神的豊かさの双方が重要」と結論づけるのは早計でしょう。そのため、私は経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも幸福の条件だと考えるのである。 この「そのため」が、その前の「どちらか」を判断しかねます。
 繰り返すが、私の考えるよい日本を実現するには人々が精神的な豊かさを享受できるようになればよい。それでは、日本人にとって精神的な豊かさとは何なのだろうか。この問いかけは不要です。エッセイじゃないんですから。言いたいことは「日本人にとって精神的な豊かさと「つながりや絆」が重要である。」だけですよね。日本ではSNSの利用者が急増しており、ネット上で新たな人間関係を構築していく動きが広まっている。これを日本だけの事象と考えるべきかどうかはわかりません。むしろ、全世界的な流れでしょう。このような状況は、現実世界で人とのつながりが希薄になっていることの表れではないだろうか。そうかもしれません。ちなみに、私は小論文で反語を用いることは反対です。レトリックとしては「あり」ですし、書いてもいいと思いますが、論述する力がないのにも関わらず「反語」による強意に頼るのは本末転倒です。この程度の飾りが見抜けなければ、SFCの教官はつとまりませんよ。つまり、現実世界で感じられなくなった人とのつながりや絆をネット上に求めているということである。論理的には「あり」です。ただし、単なる「つながり」や「絆」を求めているのであれば、後述の「オフ会」にはつながらないのではないでしょうか。もう少し深く踏み込めるところをうまく言語できていないのでしょう。単なる「心と心のつながり」であれば、SNS上のつながりで十分です。以上のことから、私は日本人にとっての精神的豊かさとは人とのつながりや絆だと考える。 まとめとしては問題なし。
 人々が人とのつながりや絆を実感するには、こうしたネット上の人づきあいを発展させるべきだ。「発展」の方向性として「リアルで会うこと」を明確にさしているので、もう少し明言するべきでは?例えば、ネット上での知り合いと実際に会うこと、いわゆるオフ会を開催して仲を深める。ちなみに、私はオフ会は死語だと思っています。オンラインとオフラインの垣根がなくなりつつあるので。しかし、こうしたオフ会は未成年や女性には危険が伴う。そうかもしれませんね。<そうしたこともあり、日本にはオフ会という文化が広く普及しているとは言えない。私は、ネットを介して人と出会うことはむしろ今では普通だと思いますよ。ネットで予備校を選んで、予備校の先生に会うことも広義のオフ会です。私は、そうした危険性を排除し、安全安心なオフ会を開催できるようなサービスを提供する仕事をしたいと考えている。論理は通っているのにも関わらず、イマイチ感が漂っています。一つは「つながり」の定義がイマイチ明確でないことに起因するでしょう。「つながり」が大事なのにも関わらず、現実の周囲の人と「つながる」ことに着目しないのはなぜか。また、リアルとオンラインを対義語的に用いていますけれども、それって対義語ですか。例えば、SFC受験生同士が「Twitter」で知り合って「会う」ことを単なる「リアル」と「オフ」と分けてしまうと本質を見失う気がしませんか?二人は出会った瞬間に「リアル」と「オフ」から「リアル」になるんでしょうか。けれども、その後の二人の関係は、「オフ」を中心に続くことが多いでしょう。ところがこの二人の受験生の関係はどう考えても「リアル」でしょう。「オフ会」は、「リアル」と「オフ」の差が明確であったころの産物であり、今ではその区別はほとんどないのではないでしょうか。その時代に、「ネットのつながり」をことさらに強調することに違和感を覚えます。あとは、結局何をしたいのかが具体的に見えない点でしょうか。「安全安心なオフ会を開催できるようなサービス」を具体的にかってなんでしょうか?
「資料1から資料6を参考にして、君が日本をデザインするとき、1)どのような日本を良い日本だと考えますか、2)その根拠となる価値観はどのようなものですか、3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと、の三点を説明してください。
」の3番目があまりにも内容がないです。

問2の詳解

まず、人は幸福な人生を送るべきだという価値観を前提に新たな価値観の設定を行った。先に「君の「総合政策学的アプローチ」とは何か」をまとめた内容を書いた方がよいと思います、最後までたどり着いても結局何が言いたいのかが分かりづらいので(「以上」でまとめているので、けっきょく何が重要なのかが分かりづらいんですよね。)この際、ある枠組みの中で考えた最適解が別の枠組みで考えると最適解にはならないこと、つまりある価値観のもとでは最適となる解決策が別の価値観から考えると最適ではない、ということを意識した。そして、複数の価値観をすり合わせ新しい価値観を設定した。いわんとしていることは分かるのですが、方法論がよくわかりませんよね。この書き方では。問1では、人間が幸福に生きるには経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも必要であるという価値観を設定した。 この文章は不要。
 次に、ここで設定した価値観をもとに問題の設定、分析を行った。「まずは」から「次に」が長いので文章が読みづらい、ということは先ほどご指摘した通りです。設定した価値観をもとに、よい日本を実現するめに足りていないものを特定、つまり問題を設定した。「不足」に着目する、というやりかたを強調するのはおもしろいと思います。問一では精神的豊かさを享受できていないことを問題とした。これは不要。さらに、問題の分析をした。これはさっぱりし過ぎなので、次の一文を削って、細かい内容を足しましょう。問一では、日本ではSNSの利用者が増加しているという状況を根拠として、精神的豊かさという抽象的なものを人とのつながりや絆と定義した。不要。最後に、分析をした問題の解決策を設定した。これも内容を書き足すべき。以上が、私が問1の過程で考えた「総合政策学的アプローチ」である。書くのはしかたがないですが、本来ならば不要。

「感想」への


感想
問2は問1に無理やり後付けしたような内容なので、点はもらえないかなあと思います。というのも問1において総合政策学的に価値観の設定ができていないからです。

そもそも価値観の設定が理解できていません。
問題では「ある枠組み(価値基準・規範)の中で考えたサブシステムにおける定量/定性的な最適解は、別の枠組みで考えると最適にはならないことを認識し、枠組みの設定こそが重要であり、そのために絶えず物事に対しズームをきかせながらとらえ俯瞰するといった、全体のパースペクティブを意識的に持たねばならない」と書かれている部分です。

質問1:ここで言う「ズームをきかせながら俯瞰する」とは一体どういうことなんでしょうか?

例えば、少子高齢化という現状を考える場合。
価値観:少子化は良いが高齢化は良くない。→高齢化が問題。
価値観:高齢化は良いが少子化は良くない。→少子化が問題。
価値観:高齢化も少子化も良い      →問題はない。
価値観:高齢化も少子化も良くない    →少子高齢化が問題。
という価値観が考えられますが
「ズームをきかせながら俯瞰する」とは、こうした対立していたり、似ているような複数の価値観をすり合わせるということなのか
あるいは価値観の掘り下げを行うということなのか
私は、そこは自分で考えるべき点、だと思います。まず、この設問はこのように読解できると思います。(詳細は、「【添削】総合政策・2011年(アマチュア様)」ご参照)
あなたは、問1を解く時に「どのように価値を作り出し、合理的に実現しようとしたのか、つまり、どのようにあるべきものを探求しようとしたのか」、特に「どのように物事に対してズームをきかせてとらえて俯瞰したのか、つまり全体のパースペクティブをどのように意識的に持って枠組みの設定をしたのか」その方法を教えて下さい。
ということです。これ以上は、読解のしようもないです。

「絶えず物事に対しズームをきかせながらとらえ俯瞰するといった、全体のパースペクティブを意識的に持た」から分かるように、「全体のパースペクティブを意識的に持た」の一例が「絶えず物事に対しズームをきかせながらとらえ俯瞰する」ですので、読解の重点は「全体のパースペクティブを意識的に持つ」です。

とはいえ、これでは直接のご回答になっていないので、ご質問いただいた部分にご回答すると、私はそれは「ズームをきかせながらとらえ俯瞰する」のお仲間、つまりは「全体のパースペクティブを意識的に持つ」の一例として成立していると思います。今ご投稿いただいている問2の回答よりもむしろそれを重点的に書くべきです。網羅性は気にせず自分らしい一例が一つあがっていれば問題ないでしょう。
質問2:いずれにせよ、価値観を決める価値観(すり合わせ具合や掘り下げ具合を決定する基準)は何なのでしょうか。

「全体のパースペクティブを意識的に持たねばならない」
この部分を見ると全体の展望、つまり部分最適ではなく全体最適を意識しろと言っているように思えます。そうだとすると、価値観を決める価値観(すり合わせ具合や掘り下げ具合を決定する基準)は全体最適解ということになりませんか?つまり、全体最適解が導きやすい価値観を設定すればよいといっているように思えます。
価値観があるから問題が生まれ、そこから解決策を考えるはずなのに、順序が逆ではないでしょうか。
ここはとても難しいご質問です。最終的には、「価値観を決める価値観は、状況の制約条件とあなたの良心にかかっています」がお答えです。そして小論文的には採点者に「あなたが『全体のパースペクティブを意識的に持つ』ことができる」という情報を伝える、が「価値観を決める価値観」です。

この設問は「日本のデザイン」を通して、「問題発見・解決能力」があるかどうかを確認する試験です。特に「全体のパースペクティブを意識的に持つ能力があること」は必ず答案に含めてアピールすべきでしょう。そういう人は確実に合格しますから。だから、それができるレベルで価値観を決める価値観の掘り下げはやめてください。受かればいいんです、受かれば。それ以上のことは試験の時には考えない方が受験勉強としては正しいです。だから、それが示しやすい答案であればそれでかまいません。

あなたはA国の軍師で、「領土の拡大」を目指すとします。この時にB国に、「戦争をはじめましょう」というのか、「無血開城をせまるのか」、「B国と合併するのか」、いろんな解決策があります。そしてそのときに「人の命は大事だよね」→「A国だけでなく、A国とB国のどちらの国民も大事だよね。」と思考の範囲をただ単に「拡大していく」ことが問題発見・問題解決に必要な「全体最適」であるかというとそうではないでしょう。日本の外交官は、国内と国外の利害が対立した時に、最終的には国内の利益を中心に考えるでしょう。これは「全体」を見ることができていない、というわけではないですよね。だから、「軍師」のあなたは自分の国という制約条件を意識しながら、領土の拡大という目的の是非を問いながら、さらなる価値観を求めながら、どういう進言をするか、を決定しなければなりません。

総合政策学部の先生方には怒られそうですが、「全体のパースペクティブを意識的に持たねばならない」=「今見ている対象を『部分』として考えた時に、『全体』が存在して、その『全体』を意識したときにもっといいことがあるんじゃないか、と絶えず考え続けること」というアドバイスとでも思った方がいいと思います。 「全体とは何か」という質問はかなり難しい質問なのです。「全体」を決めた時点で、「全体」の「外側」があるはずから、「全体」が「全体」ではなくなりますしね。つまり、「全体」を決めたら、その瞬間それが「部分」になりうる、ということです。けれども、対象を「部分」としてとらえて、「全体」があるんじゃないか、と考える思想は、とても重要なのです。



といったとことで。。。