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現代文入門

【基礎から学ぶ】論理的に読むための現代文入門 その0

「論理的に文章を読む」とは?

「論理的に文章を読む」とはどういうことでしょうか。このエントリーではこの問いから出発してみたいと思います。端的にいうと

論理的な文章とは
筋道だてて書かれた文章

です。そして、

論理的に文章を読むとは
筋道だてて書かれた文章を筆者が立てた筋道をたどり筆者のイイタイコトを読み解く

ことを意味します。読者が勝手気ままに文章の上に「自分の道」を作ってはいけません。既に出来ている「筋道」をたどる必要があるのです。

だから「論理的に文章を読む」ためには、まず「筋道」という「道」についてよく知らなければなりません。そして「筋道」という「道」をたどる方法を知る必要があります。さらには、実際に「筋道」という「道」をたどる練習をする必要があります。

自動車で道路を走るためには、免許証が必要です。正確には、道路や車についてよく知り、また自動車の運転を教えるのが得意な人とともに、実際に道路を走り、「一人で道路を走っても大丈夫ですよ」という認可を国から受ける必要があります。一方で、「筋道」をたどるためには、免許証は必要ありません。産まれたときから少しずつ学んできた「言葉」というものでできた「道」ですから。けれども、それは「筋道をたどる」人間が「筋道という道路」について知る必要がない、ということではありません。

ここからは「論理的に文章を読む」ために、「筋道という道路」について知っていきましょう。

筋道という道路について

筋道はひとかたまりの文章の文頭の言葉から文末の言葉まで伸びる道路

筋道という道路は、一連の文章の上にできています。いまあなたが読んでいるエントリーについては、「論理的に文章を読む」とは?からはじまり、このエントリーの終わりの言葉(一旦、このエントリーの最後まで読めば分かります)まで続く道です。この道は「言葉」あるいは「単語」で出来ています。「単語」や「言葉」は「文章」ではありません。

「かわいい猫」という筋道

せっかくですので、もっとも短い種類の「筋道」を作ってみましょう。

例1
かわいい

これは「かわいい」という形容詞であり、「愛らしい」「小さい」などを意味する単語です。

例2

これは「猫」というある種別の動物を指し示す名詞です。「ニャーニャー鳴いて屋根や塀を歩くあの動物」を指し示す名詞です。

ところが

例3
かわいい猫

とこの二つの単語がつながった瞬間に、その上に「道」ができます。「かわいい」と「猫」をつなげて書くだけで、その上に「道」ができあがるのです。だから「かわいい」と「猫」の上を勝手気ままに歩いてはいけません。必ず「道」をたどる必要があります。

さて、私が仮に「猫が嫌い」だとします(実際は好きです)。その場合、私はおそらくは「かわいい猫」とは思わないでしょう。「イヤな猫」とか「乱暴な猫」とか「臭い猫」というイメージを持っているはずです。けれども、「筋道をたどって読む」ということは、ある筆者が例3のように「かわいい猫」と書いた瞬間に、私が「猫」に対してどのような印象を持っていようとも、「猫」という単語を「かわいい」という単語とくっつけて「かわいい猫」について考えなければいけない、ということです。それが「筋道をたどって読む」ということです。筆者が「かわいい猫」と書いているにも関わらず、読んでいる私が筆者の猫に対する感情を「イヤな猫」「乱暴な猫」「臭い猫」であると思っていると読んではいけないのです。

例4
大嫌いな焼き肉

これも同じです。あなたが「焼き肉」をどれだけ好きであろうとも、「焼き肉」を大嫌いだ、という筆者の「筋道」をたどる必要があります。

勝手気ままに読まれた文章たち

次の例を考えてみましょう。

例5
「SFC英語は単語さえ勉強していれば合格できる!」という意見に私は反対です。

この文章を読んで、読み手が、筆者のイイタイコトは「SFC英語は単語さえ勉強していれば合格できる!」ということだ、と読んだらどう思いますか。明らかに間違いですよね。筆者は「SFC英語は単語さえ勉強していれば合格できる!」の後に「という意見に私は反対です。」という言葉を付け足すことで「筋道」を作り、「SFC英語は単語さえ勉強していれば合格できるわけではない」ということがいいたいのですから。

この文章は文頭の「SFC英語は〜文末の反対です。までに作られた「筋道」をたどって読む必要があります。これを筆者は「SFC英語は単語さえ勉強していれば合格できる!」と考えている、と読み取るということは、「筋道」をたどらずに勝手気ままに読んでいるということです。

これぐらいの文章であれば、間違える人は少ないです。次の例はどうでしょうか。

例6
私は最近の若者には元気がないと思う。彼らはもっと過激なことを主張すべきだ。「各市町村に1つは原子力発電所を設置すべき。」などの。もちろん、少し考えれば水のないところで原子力発電所は設置できないことは分かるだろうし、この意見が「過激」を超えて「無謀」だ、ということも分かるかもしれない。けれども、こうした「過激な言説」が科学を発展させることもまた事実である。だからこそ、若者はその有り余るエネルギーを「過激な意見」として世に問うべきなのである。

この文章を読んで「筆者は、原子力発電所賛成派なのだ」と読解するのはいかがでしょうか。

この文章は文頭の私は最近の若者に〜文末の世に問うべきなのである。まで作られた「筋道」をたどって読む必要があります。このうちの一部である「各市町村に1つは原子力発電所を設置すべき。」だけを切り取って「筆者のイイタイコト」だと読み取ってはいけません。筆者は「各市町村に1つは原子力発電所を設置すべき。」を「過激な意見」の一例として挙げているだけであり、筆者がイイタイコトは「若者は過激な意見を世に問うべきだ」です。

どうして「若者は過激な意見を世に問うべきだ」が筆者のイイタイコトである、と分かるかというと、

・「けれども」「だからこそ」というような「接続語」
・「過激なこと」のような「個人言語」
・同じ内容が形を変えて繰り返されている換言の「論理パターン」
・個別具体事象から一般ルールを見いだす帰納の「推論」

などを用いて「筋道」をたどっているからです。

接続語:筋道の上の交通標識

みなさんは道路の横に50や60という数字が書かれた看板をみたことがあるでしょう。ここまで回りくどく書かなくても「道路標識」や「交通標識」といえば、何を指すかは大半のことがわかると思います。もしかしたら50や60という数字は、「最高速度」を指す、ということを知っている人もいるかもしれません。道路で車を運転する際には、この「交通標識」を見ながら運転します。この「交通標識」は日本全国に共通するものであり、全て「同じ意味」を持っています。そして免許をとる際にはこうした交通標識の意味を知る、そして、実際の道においてこれらの「交通標識」を活用することにより、道路をたどって運転できるようになります。

筋道にも同じように「交通標識」があります。それが「接続語」です。

私はお腹が空いている。しかし、我慢しなければならない。

という文章を最初から筋道をたどって行きます。すると「しかし」という言葉に気づきます。この「しかし」という言葉は「前の内容から予想されることとは異なる内容」を述べることを示す「交通標識」です。どんな文章であっても「しかし」という「交通標識」があれば、「これから書かれる内容はこれまでの内容から予想されることとは異なる内容になるんだな。」と予想して筋道を進むことができます。この「これから先の筋道を予想する」という心の働きがあるがゆえに文章は分かりやすくなります。逆に、

私はお腹が空いている。しかし、ご飯を食べる。

という文章は「これから先の筋道を予想する」という心の働きにより「しかし」という言葉を読んで「これから書かれる内容はこれまでの内容から予想されることとは異なる内容になるんだな。」と予想してしまっているがゆえに違和感を感じます。「しかし」という言葉が筋道をたどる手助けの役割をしている証拠です。

彼はとてもやさしい。だから、彼のことが大好きです。

彼はとてもやさしい。だから、彼のことがきらいです。

さて「だから」という「交通標識」が指し示す「前の内容が理由になり、後の内容が結論・主張」となるという心の働きを体験できましたか?二つ目の文章を読んで「あれ?」と思った方は「筋道」をたどれています。あとはいろいろな交通標識を知り、筋道をうまくたどっていけばよいのです。

個人言語:筋道の上の「案内標識」

道を進むのに「交通標識」だけで十分でしょうか。確かに「この道は時速50kmでススメ」や「落石注意」等の情報を示した「交通標識」は、「安全に運転する」のに重要です。けれども、「安全に運転する」だけで目的地につけるでしょうか。そうではないですよね。安全に運転するための「交通標識」は、日本中どこでも同じ形です。だから、どんな道路にも同じような「交通標識」があります。

けれども、道路を進んでいるとそれ以外の「標識」を見ます。「東京まで60km」「横浜は右にススメ」など「地名」や「行き先」を示した標識です。これは「交通標識」とことなり、

案内標識
・特定の地域や区域に関する情報を示す標識

です。だから地域によって異なります。沖縄に「東京まで20km」という案内標識はないですし、富士山頂に「右に300mすすめば海」と書いてある「案内標識」はありません。「沖縄」という地域は「東京」まで20kmではないですし、富士山頂から300m進んでも海にはたどり着かないからです。つまり

標識
交通標識...全国共通で「道路の進み方を示す標識」
案内標識...各道路毎に異なる「今いる地域・区域に関係する情報を示す標識」

の2種類があるのです。

各文章毎に異なる「今の文章に関係する情報を示す標識」として「個人言語」に着目します。個人言語に関しては、出口先生の言葉をそのまま用いていますが、

個人言語
・文章の中で筆者が辞書的な意味に加えて筆者固有の意味を付した語

とでも定義しておきます。

「かわいい」とは「小さい男の子を見た時に心にわきあがる感情」である。

と文章で書いてあった場合、辞書としては「小さい」「愛らしい」という意味かもしれませんが、筆者としては「小さい男の子を見た時に心にわきあがる感情」という意味でつかっており、それ以外の意味ではありません。こうした「筆者固有の意味をもたせた語」は、普通文章の中で筆者がイイタイコトと密接に関わってきます。つまり「その文章で重要な部分」を示しているのです。人によっては「キーワード」という言葉を用いる場合もありますね。各文章毎に異なる「今の文章に関係する情報を示す標識」、それが「個人言語」です。

中間ポイント:「標識」に気づくようになる

文章には筋道の進み方を示す交通標識「接続語」と文章の重要な箇所に関連することを示す案内標識「個人言語」があります。

筋道という道を進みためには、この「交通標識」「案内標識」に気づき、その標識を生かせるようになる必要があります。だから、論理的に読めるようになりたい人は、まずはこの「標識」の扱い方に慣れてください。「標識の扱いに慣れる」とは

標識の扱いに慣れる
・交通標識の指し示す意味を知る
・標識に気づく
・標識にしたがって行動する

の3つが出来るようになることを指します。これは既に挙げている現代文の参考書に取り組むことで鍛錬できます。まずは、ここを中間地点として目指すようにしてください。

論理パターン:筋道そのものを見つめて筋道を進む

「落石注意」を示す交通標識が大都市の真ん中にあるのを見たことがありますか。あるいは子供が遊んでいる道路で「最高速度100km/h」の交通標識を見たことがありますか。逆に考えてもいいでしょう。大都市の真ん中に「落石注意」の看板があったら信じて、道路に落ちている岩や頭上に気をつけますか?あるいは子供が遊んでいる道路なのに「最高速度100km/h」の交通標識があったら信じて時速100km/hで進みますか。

そんなことしませんよね。つまり「交通標識」の「あるなし」に関わらず、われわれはその道を進む時に気をつけなければいけないことをある程度「自然に」見分けながら進めているのです。

これは「筋道」という「道」も同様です。仮に「しかし」という言葉がなくても

私はお腹が空いている。我慢しなければならない。

というように文章が続いている場合、頭はこの筋道を「けれども」や「しかし」を補って読み進めることができます。こうした「筋道」のパターンをしっかりと見極めることにより、「交通標識」がなくても「筋道」に沿って進むことができるようになります。

これまでは「標識」に着目して、筋道をたどっていましたが、ここから先は「筋道」を見極めながら、それに沿って進んでいくのです。「飛び出し注意」の「交通標識」があるから「飛び出しに注意する」のではなく、「周囲に小学校がある」から、「子供が走り回っている道」だから「飛び出しに注意する」ようになるのです。

こうした道の特性を「論理パターン」と呼びます。「論理パターン」を知ることにより、「接続語」に頼って読むよりも、よりしっかりと「筋道」にしたがって読めるようにあるのです。

推論:論を進めるたった2つの方法

ここまではどのように「道」を進むかという話を「交通標識」「案内標識」「道そのもの」の3つの観点から説明してきました。最後に説明するのは「道そのもの」の「特殊パターン」です。「行きたい道に向かう方道」です。

推論...ある2つ以上の事実から別の結論を導きだすこと

とします。「推論」に関しても色々な定義がありますが、ここではこの定義にしておきましょう。

イイタイコトを筋道立てて説明する方法には大きく二つあります。

・同じことを形を変えて説明する方法
・ある事実から別の結論を導きだす方法

「推論」はもちろん後者です。けれども、「推論」には2パターンしかありません。「演繹」と「帰納」の2パターンです。この2つさえ使いこなせればよいのです。

最終ポイント:筆者の作った筋道を辿る

「標識」に慣れることと、「筋道」を頼ることは似て非なるものです。確かに「標識」に慣れればもっと道が進みやすくなります。けれども「標識」だけに頼っていては、まわりに「標識」が全くなくなった時に前にも後ろにも進めなくなります。

「論理パターン」と「推論」は「筋道そのもの」に対する知恵です。結局のところ、「道」を進むには「道」を知らなければならないのです。「道」のはじまりはどこか。ひとまとまりの文のはじめです。「道」の終わりはどこか。ひとまとまりの文の終わりです。結局のところ、「道」のパターンである「論理パターン」を学びながら、特に注意すべき「推論」という「論理パターン」に意識を配りつつ、筆者のイイタイコトを追いかけることが論理的に読む、ということなのです。

ここまで分かれば、あとは実際にやってみるだけです。ぜひやってみましょう!

【基礎から学ぶ】論理的に読むための現代文入門 その4

論理的に読むための現代文入門の最後は「推論」です。

今回はちょっと中身が難しめなので、最初は飛ばして読んでもいいです。「推論」は「論理パターン」の一つです。そして「推論」は本質的に3パターンしかありません。そしてここではそのうちの2パターンを説明します。

推論の種類
○演繹...個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な結論を見いだす推論
○帰納...一般的・普遍的な前提から個別的・特殊的な結論を見いだす推論
・アブダクション(仮説形成、仮説推論)...ここでは説明しません。

覚えるのはかんたんですよね。アブダクションは無視してしまってかまわないので「演繹(えんえき)」「帰納(きのう)」と繰り返して覚えてしまいましょう。とはいえ、キーワードだけ覚えてもしかたないですからね。

中身をしっかり理解しましょう。

帰納(個別→一般へ)

SFCに3年連続で落ちた。友達の数も1桁だ。やりたいことも決められない。関関同立レベルの三流大学に通っている。冷蔵庫に卵がない。俺の人生はクソ。

こういうことを言っている人が「仮に」いたとします。

この人は「俺の人生はクソ」という「一般的・普遍的な結論」を、個別の「SFCに3年連続で落ちた。」「友達の数も1桁だ。」「やりたいことも決められない。」「関関同立レベルの三流大学に通っている。」「冷蔵庫に卵がない。」という「俺の人生はクソ」と言えであろう事象を並べることによって見いだしています。

帰納とは
個別事象A,B,C... を挙げることにより、それに共通するより一般的・普遍的な結論を導出する推論

です。現代文において、出口先生が「筆者がイイタイコトAをA’(例)に形を変えて繰り返す」と言っているのも本質的には「帰納的推論」に基づきます。一般的・普遍的な内容を「例」という個別事象から推論させようとしているのです。

帰納的推論の読解方法

帰納的推論は「個別事象」に支えられています。だからまずは「個別事象」が「真」である、というのが「筆者の前提」になります。上の文章であれば筆者は

「SFCに3年連続で落ちた。」という「俺のクソな人生」
「友達の数も1桁だ。」という「俺のクソな人生」
「やりたいことも決められない。」という「俺のクソな人生」
「関関同立レベルの三流大学に通っている。」という「俺のクソな人生」
「冷蔵庫に卵がない。」という「俺のクソな人生」

という前提に立っていることになります。

「論理的に読めない読者」がやりがちなのは、この「筆者の前提」に対し頭の中で反論を加えてしまうことです。「別にSFCに落ちたからってどうしたの?」「友達は数ではなく質だよ。」「やりたいことなんかそんなにすぐに決められないよ。」「関関同立っていい大学じゃない?」「卵がなければ人生がクソなんてナンセンス」と頭の中で考えてしまい、「筆者の前提」を正しく読み取れないのです。

「批判的に読む場合」には、こうした読み方は正しいのですが、筆者のイイタイコトを論理的に読み取る場合には、自分のイイタイコトをぐっと抑えてこうした個別の筆者の前提を丁寧に追っていく必要があります。そして「その個別・特殊的な事象」から導きたい「イイタイコト(=一般的・普遍的な結論)」を読み取らなければならないのです。この「帰納的」な推論の場合、「イイタイコト」は一般的・普遍的な結論になります。

帰納的推論の例

Aくんもかっこいいね。Bくんもすごくかっこいい。Cくんはかっこいいというより超かわいい。SFC’15はみんなイケメンだね。

本キャンパスとSFCの併願者を見てみると、本キャンパス落ちSFC合格者が多い。だからSFCは本キャンパスより簡単。

昨日は電車が遅れてた。今日も電車が遅れてた。だから、明日も明後日も電車が遅れるだろう。

そんなに難しくありませんね。筆者が「帰納的推論」を用いているかどうかは、

・一般的・普遍的な結論を導こうとしている。
・1つ以上の個別事象を挙げようとしている

という点から見抜くことができます。

演繹(一般→個別へ)

SFCには速読英単語を勉強すれば合格できる。私は速読英単語を勉強している。だから、私はSFCに合格できる。

こういうことを仮に言っている人がいるとします。この人は「SFCには速読英単語を勉強すれば合格できる」という一般的・普遍的なルールを持ち出して、「私は速読英単語を勉強している」とこのルールに当てはまる条件を備えていることを示し、「私はSFCに合格できる」という個別・特殊事象を推論しています。

演繹とは
1:一般的・普遍的なルールを挙げる
2:今回主張する個別事象がそのルールに当てはまることを示す
3:個別事象がルール通りであると導出する推論

です。ちなみに英語の文法書に書いてある文法事項と練習問題の関係や、数学の公式と練習問題の関係は常に演繹的推論で解いています。(あ、この問題は頭の中で知っている文法ルールに当てはまる。だから、この個別問題の答えは○○だ。)

演繹的推論の読解方法

演繹的推論は「一般的・普遍的なルール」に支えられています。だから、「一般的・普遍的なルール」が「真」である、というのが「筆者の前提」です。上の文章で言えば、

「SFCには速読英単語を勉強すれば合格できる。」

は、筆者が信じている前提であり、これに対して心の中でどういう反対意見や反論を持っていようとも、「論理的に読解する」限りにおいては、この反対意見や反論を頭の中から追い出して読んでください。また

「私は速読英単語を勉強している。」

も同様に筆者の前提ですから、「論理的に読解する」限りにおいては、これに対する反対意見や反論を頭の中から追い出して読んでください。たとえ「お前は勉強しているんじゃなくてページを開いているだけだろう?」と思ったとしても、「筆者のイイタイコト」を読み取る際にはそれは不要であり、「論理的に読解する」ためには邪魔なものなのです。

もちろん「批判的に読む」場合にはこうした読み方は重要ですけれどもね。特に「論理的に読むこと」の初心者である場合、「批判的に読む」と「論理的に読む」が区別できていないことが多く、いつの間にか自分の意見を読解の中に加えてしまっています。これを避けるべきなのです。

そして、最後に出てきた「個別事象」。これが筆者のイイタイコトです。「一般・普遍的なルール」から導きたい「イイタイコト(=個別事象)」を読み取らなければならないのです。この「演繹的」な推論の場合、「イイタイコト」は個別事象になります。

注意すべき例

この例を考えてみましょう。

昨日は電車が遅れてた。今日も電車が遅れてた。だから、明日も電車が遅れるだろう。

帰納の時に書いた例と似ていますが、今回の場合は「イイタイコト」が「明日も電車が遅れるだろう」という「個別事象」に見えます。ところが前の部分は「個別事象を列挙しており」明らかに推論は「帰納的推論」のように見えます。これは「帰納的推論」で「一般的ルール」を見いだしたあと、「演繹的推論」で「個別事象」を見いだす、という推論です。

「だから」「したがって」など結論を述べる接続語

「だから」や「したがって」など前の内容を受けて、結論を述べるような接続語は「原因・理由」→「結果・結論」という関係を示すが、結論の「導出仮定」が「帰納」か「演繹」かは分かりません。けれども、推論の方法が「帰納」か「演繹」かを見分けることで「イイタイコト」が何なのかを読み取る手助けになるので、こうした接続語が出てきた場合には、これらの内容をきちんと見分ける練習をしてみてください。

よくやりがちな読解ミス(1)「AならばB」の読み取り方

「一般的・普遍的ルール」自体の読解ミスをしばしばよく見かけます。こういう読解ミスをしないように注意してください。

SFCには速読英単語を勉強すれば合格できる。→速読英単語を勉強していない人はSFCに合格できない。

こういう読解をする人がよくいます。これは「SFCには速読英単語を勉強すれば合格できる」というルールに対する読解ミスです。元の「一般的・普遍的ルール」はそんなことを一言も言っていません。「合格していない人は、速読英単語を勉強していない」であれば「イイタイコト」と同じことを意味します。

SFCに合格している人は、速読英単語を勉強している。

これも成り立ちません。間違いです。元の文章はこんなことを意味していません。

SFCには速読英単語を勉強すれば合格できる。→リンガメタリカを勉強した人はSFCに合格できない。

これも同様に間違いです。あくまで「速読英単語を勉強すれば合格できる」という意見は「リンガメタリカ」に対しては何も主張していないのです。だから、

SFCには速読英単語を勉強すれば合格できる。SFCにはリンガメタリカを勉強すれば合格できる。

も成り立ち得ます。

こういう命題の読み取り方は要注意です。

よくやりがちな読解ミス(2):推論の構造の読み間違え

パフェを食べたいな。っていうか、私は甘い物を食べに行きたい。

という文章を読んで、「私はパフェ(のみ)を食べに行きたい」と読み取る人がいます。この文章は帰納に近い文章構造になっており、「甘い物」という一般内容の個別事例として「パフェ」を挙げているだけであり、私の主張は「甘い物を食べたい」なのです。

帰納的推論であるのにも関わらず、個別事象を「イイタイコト」と読み取ったり、演繹的推論であるのにも関わらず、一般的ルールを「イイタイコト」と読み取るミスはよくあります。これも推論の中身をしっかりと吟味することでだいたい避け得ます。

5回にわたり、論理的に読む際にひっかかる箇所を示してきました。いかがでしたでしょうか。

【基礎から学ぶ】論理的に読むための現代文入門 :とらドラ!編

この世界の誰一人、見たことが無いものがある。それは優しくて、とても甘い。多分見ることが出来たなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。だからこそ、だれもそれを見たことが無い。そう簡単に手に入れられないように、世界はそれを隠したのだ、だけどいつかは誰かが見つける。手に入れるべきたった一人が、ちゃんとそれを見つけられる。そういうふうになっている。
とらドラ!1 (電撃文庫)

この世界の誰一人、見たことが無いものがある。

一文目。これは「命題」であり、一文だけでは「この文の指し示す意味」以外の何も意味しません。「道路」の比喩でいえば、「スタート地点」です。日本語の意味が指し示すように、「この世界で、誰も見たことがないものがあるんだ。」と頭の中で意識しておけばOK。

それは優しくて、とても甘い。

論理パターンは「詳述」あるいは「補足」です。「それ」という代名詞は前の文章の「この世界の誰一人、見たことが無いもの」を指します。つまり「この世界の誰一人、見たことが無いもの」には「優しく」て、「とても甘い」という性質がある、というように前の文章の内容を「詳述(細かく述べる)」あるいは「補足(情報を付け加えている)」という論理パターンになっています。接続語はないですが、比較的見抜くのは簡単です。「詳述」と「補足」の違いは「詳述」の場合、「詳しく説明した内容」に重点があり、「補足」は「情報を付け加える前の内容」に重点があります。「筋道」が「前」か「後」かどちらに移るかにより「詳述」か「補足」は変わります。このため、前の内容を詳しく説明する情報を付け加えている、という文面からだけでは判断できません。接続語が補われていればある程度分かる場合があります。例えば「この世界の誰一人、見たことが無いものがある。なお、それは優しくて、とても甘い。」となっていれば普通は「補足」です。

多分見ることが出来たなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。

接続語がないため、前の文章との関係性から考えて行くと、これも「詳述」か「補足」。正確にいえば、「詳述」に限定できる。「見たことがないもの」の性質を説明している内容であり「前の内容を詳しく説明する情報を付け加えている」という点では2文目と同じ。仮に「それを見ることが出来たなら、誰もがそれを欲しがるはず」という性質を持っていることを説明しています。そして、「見たことが無いものがある」という1文目と「それは優しくて、とても甘い」という2文目の両方の性質を持っているものだからこそ、「見ることが出来たなら、誰もが欲しがる」という性質を持つ、という主張できる。このため、2文目の内容は3文目を論じるために不可欠な内容であるため、「補足」ではありえない。このため、2文目の論理パターンは「詳述」。そして「補足」はあくまで前の文章に情報を補助的に付け加える性質のものであるため、1文目と2文目を使ってわざわざ説明している3文目には適さず3文目も「詳述」の論理パターン。

だからこそ、だれもそれを見たことが無い。

論理パターンとしては「原因ー結果」。1文目から見ると、トートロジーではあるけれども、3文目の内容が「原因」であり、「結果」として「だれもそれを見たことがない。」と。ここは、接続語「だからこそ」という「原因ー結果」を示す接続詞があるので論理構成は簡単。

一周回って同じことを言っているので、ここまでで筆者がイイタイコトは「誰もがほしがる優しくて甘いものだが、誰も見たことがないものがある」ということだけ。文を経由するにつれて少しづつ情報が足されていることに留意。

そう簡単に手に入れられないように、世界はそれを隠したのだ。

ここは「主張ー理由」の関係。接続語はないが、「そう簡単にそれ(「誰もがほしがる優しくて甘いものだが、誰も見たことがないもの」が見つからないように世界が隠した」(理由)から「だれもそれを見たことが無い。(前の文、主張)」という論理パターン。

だけどいつかは誰かが見つける。

ここの論理パターンは「逆接」。前の文章は「世界が誰にも見つけられないように隠した」であるため「誰も見つけられない」と予想されるけれども、それとは反して「いつかは誰かが見つける」と主張しているため、ここの接続関係は「逆接」。逆接の場合、後半の方が「イイタイコト」になることが多いのでそのつもりで読む。

手に入れるべきたった一人が、ちゃんとそれを見つけられる。

これは内容として、前の文章の「言い換え」であるので、論理パターンは「言換」。重要な内容は何度も「言い換え」られるので、「逆接」の後が「イイタイコト」という論理パターンにも一致。

したがって筆者のイイタイコトは、「誰もがほしがる優しくて甘いものだが、誰も見たことがないものを世界が隠しているが、それにふさわしいただ一人がそれを見つけることができる。」ということ。

そういうふうになっている。

これは前の内容を全て受けて「そういう風になっているんだよ」と繰り返し「言い換え」ているので論理パターンは「言い換え」。したがって、筆者のイイタイコトには影響しない。あるいは、「誰もがほしがる優しくて甘いものだが、誰も見たことがないものを世界が隠しているが、それにふさわしいただ一人がそれを見つけることができるようになっている」と情報を付け加えているので「補足」とも言える。いずれにせよ、そこまでの内容が重要。



という感じで文章を筆者の書いている内容をヒントにして、筆者のイイタイコトを意識的に追いかけて行くのが重要です。

この一群の文章を受けて10冊からなる長編小説がはじまります。したがって、10冊からなるこの長編小説はこの文章の「言い換え」に過ぎないのです。

【基礎から学ぶ】論理的に読むための現代文入門 その3

今回は、「論理パターン」について説明します。枠組みと言っても、型と言ってもいいのですが。

筋道と道路

論理的に書かれた文章については、ある程度の筋道が立っています。そして「接続語」が筋道に従うための「道路標識」であり、「個人言語」は筋道に沿って進むための「案内標識」のようなものです。東京まで50kmみたいに個別の地名を表していますよね。この「道路標識」や「案内標識」の立っている道路自体にも、ある程度の大枠の決まりがあります。道路は作ろうと思えば自由に作れるはずなのですが、不思議なことに世界共通の「特性」があります。「広い平原の中、道路がぐねぐねに曲がっている」ケースはほとんどありませんし、「高い山の頂上に向けて、道路が一直線に伸びている」ケースもほとんどありません。もしそうでないケースがあるのならば、そうなっている理由があります。そして直線道路であれば「スピード注意」などの「道路標識」が立ちますし、急にカーブになっていれば「対向車注意」や「前を見て」などの「道路標識」が立ちます。道路の「特性」に合わせて、「道路標識」や「案内標識」が立っているわけです。

ここまでは「接続語」や「個人言語」をみて「筋道」を追うことについて説明してきました。ここからは、「道路の特性」を見て「筋道」を追うことを説明します。ここで一点だけ注意です。「道のパターン」をみて筋道を追うことは「接続語」や「個人言語」をみて「筋道」を追うことの上位互換ではありません。タクシーの運転手さんのように、運転が上手な人が「道路標識」や「案内標識」だけを見て運転するわけがないのと同じで、運転が上手な人が「道のパターン」のみを見て運転するわけではありません。この両方をうまく合わせて使えるようになっているから、うまく運転できるのです。

ここからは直感的に分かりやすいものを用いて「パターン」について説明したいと思います。

逆接

一日中雨が降っていた。洗濯物は乾いていた。

この2つの文章を読んでいると、モヤモヤっとしますね。なんとなく「しかし」「けれども」「だけど」を補いたくなります。これは日本語を用いる人にとっては当たり前の言語感覚です。実はこの言語感覚には「逆接」という名前がついています。
逆接
二つの文または句の接続で、上に述べたことから予想される以外の結果が示される関係を、あえて結びつける場合をいう。例えば、「雨が降る」と「運動会を行う」の文で、接続助詞「ても」または接続詞「しかし」を用いて、それぞれ「雨が降っても運動会を行う」とか「雨が降る。しかし、運動会を行う」などとする類。
デジタル大辞泉
「内容」と「内容」のつながり方には「ある一定の関係性」があることが多く、特徴的なものには名前がついているのです。

次の例文を見てください。

He is very rich, (     ) he is not happy.

この()に当てはまる語を入れてください。日本語にしてみると「彼はとても裕福である。彼は幸せではない。」ここでなんとなくモヤモヤっとしますよね。「一日中雨が降っていた。洗濯物は乾いていた。」に感じるモヤモヤ感と同じです。だから、日本語の訳語ならば、「彼はとても裕福である。しかし、彼は幸せではない。」を補うことができるでしょう。英語ならば「but」ですね。

論理パターンはひとり日本語だけのものではない

上の例から分かるように「逆接」のように「前の内容から予想されることと後ろの内容がずれている」という構造を接続語を用いて書き換えたくなる、というのは日本語だけではありません。英語でも同じです。これが「全ての人類が」というと語弊があるかもしれませんが、大学受験レベルにおいてこうした「逆接」パターンのようなパターンはどうも幅広い言語に共通するものであるらしい、と仮定してもよさそうです。

「逆接」パターンがなぜ重要なのか、と言えば、「逆接」の「後」の内容の方が筆者のイイタイコトに近いことが多いからです。ここで重要なのは「近いことが多い」ということです。「常に」ではありません。けれども無視できるほどではないのです。

そしてこうしたパターンを通じても筋道を追っていけるのです。評論文では「一日中雨が降っていた。けれども、洗濯物は乾いていた。」という文章があったときに、「洗濯物は乾いていた。」の方が重要であり、筆者のイイタイコトであることの方が多いのです。もし接続語がなかったとしても「一日中雨が降っていた。洗濯物は乾いていた。」の場合は、「洗濯物は乾いていた。」の方が重要であり、筆者のイイタイコトであることの方が多いのです。100%ではないけれども、頭の中では「あれ?ここって逆接じゃないかな?ということは、後から来る内容の方が重要なんじゃないの?」と思いながら読んでいくのです。

・文章内にある論理パターンに気づく
・各論理パターンに応じて、筆者のイイタイコトを読み取る

ことが重要なのです。

お気づきとは思いますが、少し書き足しておきます。

・文章内にある論理パターンに気づく
 接続語は論理パターンの大いなるヒント!
・各論理パターンに応じて、筆者のイイタイコトを読み取る

論理パターンの境に「接続語」があるのですから。

換言(要約)

彼はいつも彼女のことを目で追っていた。そしてイベントの度に彼女の近くにいたいと思っていた。何度も話しかけようとしていた。つまり彼は彼女のことが好きなのだ。

恋愛系のよくある文章ですよね。

これは換言(要約)という論理パターンです。前の内容を分かりやすく端的に言い換える働きの論理パターンです。上の文章は4文からなりますが、3文を使って説明したいことを「つまり」から後の1文で要約説明しているのです。だから極論を言えば、「つまり」から後の部分を理解すれば、筆者のイイタイコトを読み取ったことになります。

あるいは、

彼はいつも彼女のことを目で追っていた。そしてイベントの度に彼女の近くにいたいと思っていた。何度も話しかけようとしていた。彼は彼女のことが好きなのだ。

という文章から「要約」の論理パターンを読み取り、前の3文の内容を要約したのが後ろの1文に要約されている、と考える、ということです。

このためには「要約」という論理パターンを知っている必要があります。

論理パターンの学び方

このエントリーで全ての論理パターンを把握するのは不可能ですし、既にたくさんよい参考書が出ているので、それにゆずります。学習方法だけ提示させてください。

多くの接続語は「論理パターン」を示す標識です。だから、接続語と論理パターンの関係を知っていれば、文章を読む過程で絶えずその練習ができることになります。接続語のないときに論理パターンを見つけ出すのは、難しい時もあるので、まずは接続語のあるケースで論理パターンを身につけましょう。既にご紹介している

の3冊で十分です。「文章は接続詞で決まる」をまとめたものとして、読書猿様の文章は接続詞で決まる→(保存版)接続詞の常識チートシートにまとめてみたは非常に有用です。




【基礎から学ぶ】論理的に読むための現代文入門 その2

【基礎から学ぶ】論理的に読むための現代文入門その2です。最近読んだ本の中で、こんな感じの一節がありました。

あなたが成功するために必要なのは、
1:願望
2:期待
です。多くの人は期待することができていません。

こんな感じの文章です。この文章には、難しい表現がほとんど含まれていません。たいていの人は、この文章を辞書をひかずにこの文章を読むことができます。けれども、私はこの文章の意味がわかりませんでした。「願望」と「期待」の意味の違いってなに?似たようなものなんじゃないの?

私はこの違いを辞書でひいてみることにしました。
[名](スル)
1 願い望むこと。がんもう。「恒久の平和を―する」「結婚―」
2 精神分析で、無意識に心の緊張を解消させようとする動機。
デジタル大辞泉

き‐たい【期待】ツイートする Facebook にシェア
[名](スル)あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。「―に添うよう努力する」「活躍を―している」「―薄」
デジタル大辞泉
辞書を引いたので、意味の差はなんとなく分かりました。

では、意味の差が分かれば、この元の文章の意味はわかる、と言えるでしょうか。答えは「いいえ」です。実際には、上で引用した文章のあと長々と「願望」と「期待」の違いが説明してありました。ここでは割愛しますが。つまり、筆者は「辞書」とは異なる自分独自の意味で「願望」と「期待」という言葉を使っていたのです。

これと同じように文章を書いた人は、自分の文章の中で「重要な言葉」をしばしば自分の文章の中の固有の言葉として「意味を規定」します。よく現代文の勉強の中で「キーワード」と言われるものがこれに該当します。また出口先生はこれを「個人言語」と呼びます。言葉としては「キーワード」よりも「個人言語」の方がしっくりするので、私も出口先生にならって「個人言語」という言葉を使用しようと思います。

受験勉強とセンス

受験勉強とセンスについて書いた文章をさいきん2つほど読みました。こんな感じの文章です。

文章1
受験勉強にセンスは必須ではない。なぜならば、受験勉強の結果は生まれついた素質のみによって決まるのではないからである。もちろん、センスという生まれついた素質が全く影響しないということではない。けれども、それよりも生まれたあとの努力によって大学入試の結果は変えられるのである。

文章2
受験勉強にはセンスが必要である。受験産業ではしばしばセンス不要が売り文句になるが、「センスがある」と言う人には愛がある。受験業界は極端なものいいをして、他との差別化を図ろうとする。そもそもセンスとは、辞書によると「天賦の才能」を指していない。センスとは「判断力」や「感覚」であり努力によって磨くことができる。

この二つの文章は、実は同じことを言おうとしています。それは生まれついての素質ではなく、本人の努力が、大学合格に大きく影響する。(だから努力しよう。)けれども、「文章1」と「文章2」では「センス」という言葉の意味が違います。文章1では「センス=生まれついた素質」という意味で使用しています。一方で、文章2では「センス=判断力や感覚」という意味で使用しています。

つまり「同じ言葉」でも使用する人によって意味合いが大きく変わってきます。特に、その筆者が言いたいことに近ければ近いほど、その言葉はその人固有の「独自の意味」を持ちます。こうした「独自の意味」をしっかりと理解することが、論理的に文章を読むためには不可欠です。なぜならば、「独自の意味」であればあるほど「筆者のイイタイこと」に近いものになっているからです。

この「センスの例」については、少々怖い側面を持っています。例えば、浪人が決まり半分ぐらいヤケになっている人が、文章2を読んで「やっぱり受験はセンスなんだよね。生まれつきのセンスがないのに受験していた僕がダメなんだ。」と考えてしまう可能性がある、という側面です。文章の読み手が、文章の書き手の「個人言語」と異なる意味を用いて、文章を理解しようとすると、当然のごとく文章の意味は異なったものとなります。ところが、「読み手」に論理力がないと、「正しく読めない」のです。こうした「表面的な理解」に留まらないようにするために「個人言語」を考える必要があるのです。

文章2は、論理力のない読み手を相手にそうした読み手の考えを逆手にとったある意味うまい文章です。(もしくは単に書き手に論理力がないだけ。)最初に「センス」の意味を規定しないまま「受験勉強にセンスは必要ないという人はダメな人だ」と決めつけます。そして後で「センス」という言葉の意味を規定して何食わぬ顔で議論を進めます。悪口を言うときには「センス」という言葉が一般的な「天賦の才能」という意味をさしたまま読めるように文章を構成し、後半で「センス」を個人言語として定義しているのです。この辺はよくもわるくも論理力のなせるわざです。

「受験勉強はセンスだなんて言う人はダメな人だ!」という論調の人も、「受験勉強にセンスは必要ないという人はダメな人だ」という論調の人も両方存在します。但し、お互いに言葉尻をとらえあっていたりして、本質的には同じことを言っていることが多いです。あまり、受験生はこうしたくだらない言説に惑わされないでほしいです。

個人言語の特徴

1:個人言語は文章の中で通常に明示的に示される。
2:個人言語は筆者のイイタイコトに強く関係がある。

1:個人言語は文章の中で通常に明示的に示される。

個人言語は「個人言語」であるがゆえに、絶対に「文章の中」で意味が明示的に示されます。

一番多くて明確なのは「○○とは、」などの形で「定義」されるケースです。こういう場合は「個人言語」とみてまず間違いありません(違うときもありますけどね 笑)。

それ以外にも、文脈の中で規定されたり、例示で範囲が限定される場合もあります。

甘いものが食べたいよ!!羊羹とかお汁粉とか。

これは「とは」で定義するのではなく、「例示」することで「甘い物」という個人言語を「和菓子」あるいは「あんこ」を指すように限定した例です。

2:個人言語は筆者のイイタイコトに強く関係がある。

文章中の全ての言葉が個人言語になってしまっていると、文章自体を読み取ることができません。だから、「個人言語」となるのは文章の中の「イイタイコト」に近い一部の文章のみです。だから、「個人言語」を見つけたら、「イイタイコト」が見つかることが多いですし、「イイタイコト」の近くに「個人言語」があることが多いです。これは、一つ大きなポイントになります。

個人言語を読み取る練習

参考書ではやはり提唱者の出口先生の参考書を抜かすことはできません。

あとは「イイタイコト」を読み取る練習の中で身につけて行きましょう。一つ気をつけたいのは、「人は自分が理解できるように分かるように読む傾向があるため、筆者の個人言語に気づかないことが多い」ということです。言葉尻にとらわれず、しっかりと「筆者の頭の中の言葉」で考えてみる練習をするのが近道だと思います。

【基礎から学ぶ】論理的に読むための現代文入門 その1

今日から5回に分けて、評論文の読み方を説明していきます。

思考実験

「雨が降った」「外出した」の関係に「頭を働か」せてみる

まずは次の文章を見てみましょう。

今日は雨が降った。けれども、外出した。

この文章の意味が分からない人はおそらくはいないと思います。では、もしこうなっていたら、どうですか?

今日は雨が降った。(       )外出した。

これを読んでいると、何となく括弧の中に「けれども、」や「しかし、」「だが、」という言葉を入れたくなりませんか。

今の自分の「頭の働き」に注意を向けてみてください。なんとなく、「今日は雨が降った。」と「外出した」のつながりは「逆の関係」に見えてきますよね。それは「頭の働き」として「とても正しい普通の働き方」です。

現代文の練習をするときには、この「頭の働き」に意識を向けることが、とても重要になります。これを欠かさずやってみてくださいね。

「彼はかっこいい」「大好きです」の関係に頭を働かせてみる

では、次の文章に「頭を働か」せてみましょう。

彼はかっこいい。だから、大好きです。

あるいは、

彼はかっこいい。(      )大好きです。

これを読んでいると、なんとなく「だから、」「したがって、」という言葉を補いたくなるかもしれません。もちろん「そこが、」なんて言葉を入れたくなる人もいるかもしれませんけれどもね。

今回の場合は、「彼はかっこいい」「大好きです」の間のつながりは「原因→結果」に見えてきますよね。それが「頭の働き」として「とても正しい普通の働き方」です。

「彼はかっこ悪い」「大好きです」の関係に頭を働かせてみる

また同じ形式です。

彼はかっこ悪い。けれども、大好きです。

あるいは、

彼はかっこ悪い。(      )大好きです。

これを読んでいると、なんとなく「けれども、」「しかし、」という言葉を補いたくなりますよね。今回は、「だから、」を入れようとはあまり思いません。もちろん、「だから、」を入れようと思う人はいるかもしれません。けれども、だいたいの場合「彼はかっこ悪い」と「大好きです。」は「逆の関係」と考えて、「けれども、」や「しかし、」という言葉を補うでしょう。

「リスクを冒せ」と「無謀」の関係に頭を働かせてみる

今回は、ほんの少し長めの文章です。
サッカーを語る上で「リスクを冒せ」という言葉はこの監督の口から何度も出てくる。自分の枠から勇気を持って踏み出す決断や行動、そこから醸し出されるダイナミズムこそがサッカーの魅力だと思うからだ。しかし、監督は無謀を奨励しているわけではない。やみくもに攻め続けるだけでは守る側にも免疫ができてしまう。
環境情報学部 2008年 資料文4より引用
では、同じように並べてみましょう。
サッカーを語る上で「リスクを冒せ」という言葉はこの監督の口から何度も出てくる。自分の枠から勇気を持って踏み出す決断や行動、そこから醸し出されるダイナミズムこそがサッカーの魅力だと思うからだ。(      )監督は無謀を奨励しているわけではない。やみくもに攻め続けるだけでは守る側にも免疫ができてしまう。
環境情報学部 2008年 資料文4より引用
同じように、頭を働かせると、「しかし、」という言葉が、「リスクを冒せ」で代表される前の部分と「無謀」の関係が「逆の関係」であることを示していることが分かります。文章がどれだけ難しくなっても、「しかし、」という言葉が「前と後の関係」を定めていることにはかわりがありません。

「たとえば、」に「頭を働か」せてみる

私はカフェでバイトしたい。たとえば、スターバックスやタリーズコーヒーみたいなお店で。

上と同じように「中抜き」してみましょう。

私はカフェでバイトしたい。(      )スターバックスやタリーズコーヒーみたいなお店で。

この文章を見ていると、前の「カフェ」の具体例として、後ろの「スターバックス」や「タリーズコーヒー」が示されています。「頭の働き」を考えてみると「カフェ」という「抽象的」な言葉のあとに「たとえば」という言葉が来ると、その後ろにある内容を「例」として考えるように私たちの頭の中はできているようです。

同じような文章を少し難易度の高い文章で見てみましょう。
メディア(media)という用語はきわめて広範で曖昧な言葉である。たとえばテレビ、ラジオをメディアというし、ジャーナリズムを総称してメディアといい、CDやDVDなどの記憶媒体もメディアという。
環境情報学部 2009年 資料Bより引用
これを読むと「メディア」の「例」として「テレビ」「ラジオ」「ジャーナリズム」「CD」「DVD」が挙げられています。そして「頭の働き」に意識を向けてみると、「たとえば」という言葉があると、やはりその「たとえば」から後ろの部分が、「前の部分(=メディア)」の「具体例」なんだ、というように頭を働かせているようです。

思考実験から分かること

こうした思考実験から以下のようなことがわかります。

思考実験から分かること
1:我々はどうやら「前の部分」と「後ろの部分」の関係を意識しながら文章を読んでいるらしい。
2:「つなぎになる言葉」が入ることによって、「前の部分」と「後ろの部分」の関係がより明確に意識されるらしい。
3:「つなぎになる言葉」は「だいたい同じ関係性」を示しているらしい。

一つ一つ説明していきましょう。

1:我々はどうやら「前の部分」と「後ろの部分」の関係を意識しながら文章を読んでいるらしい。

お腹が空いた。おうどん食べたい。

という二つの文章があると、どうやら私たちには「この二つの文章をつなげて考える「頭の働き」がある」ようです。

お腹が空いた。だからおうどん食べたい。

なんとなくほっとしたりしませんか?すっきりしたりしませんか?逆の例を考えてみましょう。

お腹が空いた。告白しなきゃ。

「わけわからない。」と思った人いませんか?それはなぜか?あなたが頭の中で勝手に「お腹が空いた」と「告白しなきゃ」の間の関係を「埋めよう」としているからです。けれども、「お腹が空いた」と「告白しなきゃ」の間に埋める適切な関係が見つからないから混乱するのです。

お腹が空いた。けれども、おうどん食べたい。

これを読んでもむずむずしますね。後からの話と関係しますが、「お腹が空いた」と「おうどん食べたい」の間に入るはずの関係性と大きくずれるような「つなぎになる言葉」が入ったために、気持ち悪く感じるのです。

お腹が空いた。だから、告白しなきゃ。

これもよくわかりません。「お腹が空いた」と「告白しなきゃ」の間の関係性は、よくわかりません。それなのに「だから」という「つなぎとなる言葉」が無理矢理入ってきているので、頭が「何がいいたいねん。」状態になっているのです。

つまり、「我々はどうやら「前の部分」と「後ろの部分」の関係を意識しながら文章を読んでいるらしい。」のです。

2:「つなぎになる言葉」が入ることによって、「前の部分」と「後ろの部分」の関係がより明確に意識されるらしい。

遊びにいきたい。忙しい。

例によって、モヤモヤしますね。けれども、なんとなくこの間の関係を私たちの頭は想像しています。だから、こうすると「モヤモヤ」が少し晴れてきます。

遊びにいきたい。けれども、忙しい。

ここで「けれども、」が入ることによって、「遊びに行きたい」と「忙しい」は「おそらくは逆の関係だな」と想像していた「頭の働き」が、「やっぱりそうだよね!」と納得してくれるからです。ぼんやりと頭が想像していた関係性を「けれども、」が明確にしてくれるからです。

同じような例をあげてみましょうか。

彼があやまってくれた。仲直りできた。

うん。気持ち悪いですね。

彼があやまってくれた。だから、仲直りできた。

「すっきり」しませんか?

「彼があやまってくれた」ことが「原因」になって「仲直りできた」という想像を頭がしているところに、しっかりと「原因ー結果」を示す「つなぎをあらわす言葉」が入ってきたので、「やっぱりそうじゃん」と頭が納得してくれたのです。

なるほど、確かに「「つなぎになる言葉」が入ることによって、「前の部分」と「後ろの部分」の関係がより明確に意識されるらしい。」ですね。

3:「つなぎになる言葉」は「だいたい同じ関係性」を示しているらしい。

頭が痛い。それに熱もありそう。

チョコレート食べたいよ。それにケーキも。

この二つの文章で「それに」という言葉は、「頭が痛い」に対して「熱」を付け加える、「チョコレート」に対して「ケーキ」を付け加える、働きをしています。

数学の勉強しなきゃね。それに英語もね。

今度は、「数学」に対して「英語」が付け加わっています。

つまり「つなぎになる言葉」=「それに」は、「前の内容に後ろの内容を付け加える働き」があるのです。

甘い物が食べたい><。たとえばオレンジとかバナナとか。

合格したら体を動かすサークルに入りたい。たとえばサッカーとか野球とか。

「たとえば」は、前の内容の「例」を示す「つなぎになる言葉」ですね。「甘い物」の例が「オレンジ」や「バナナ」であり、「体を動かすサークル」の例が「サッカー」や「野球」なのです。

あったかいところにいきたいな。たとえば、ハワイとか沖縄とかみたいなところにね。

今度は「あったかいところ」の例が、「ハワイ」や「沖縄」になっていますね。

「つなぎになる言葉」=「たとえば」は、「前の内容の例として後ろの内容を挙げる働き」があります。

こういうところから考えると、確かに「「つなぎになる言葉」は「だいたい同じ関係性」を示しているらしい。」
ですね。

論理的に読む

・我々は「前の部分」と「後ろの部分」の関係を意識しながら文章を読んでいる
・「つなぎになる言葉」が入ることによって、「前の部分」と「後ろの部分」の関係がより明確に意識される
・「つなぎになる言葉」は「だいたい同じ関係性」を示している。

これは私たちが普通に文章を読むときにしている行為であり、頭の働きです。だから、こういうように丁寧に説明すれば、だいたいの人は普通にこれを理解することができます。

「論理的に読む」ための第一歩は、この「普通の頭の働き」を「意識的にしっかりと行う」ことです。そのためには、この「前の部分」と「後ろの部分」をつなぐ「関係性」が特に重要です。

この「前の部分」と「後ろの部分」をつなぐ言葉=「つなぎになる言葉」を「接続語」と呼びます。そして、この「接続語」を学ぶことが「論理的に読む」ことの第一歩です。もう少し明確に説明すると、

0:前の部分と後ろの部分の関係を意識しながら読む
1:接続語に気づく
2:接続語の示す関係性通りに「頭を働かせる」
3:関係性に応じて、文章の意味を理解する

この4ステップが「文章を論理的に読む」ために、どうしても必要なのです。

教科書に書いてあるのは、「接続語の意味」だけです。けれども、文章を論理的に読むためには「接続語の意味」だけではなく、「文章の意味の関係性」に着目しなければなりません。現代文の成績が伸びない人は、このあたりの練習が足りておらず、表面上、接続語などをとらえているに過ぎません。

どうやって勉強するの?

板野氏の参考書で「機械的に練習する」

上であげた「0」を意識するのは難しいので、「1」「2」をとっかかりにします。これは簡単です。そういう参考書で練習する。それが一番です。
この目的で一番よい参考書は板野博行さんの参考書です。一部の人にはものすごく評判は悪いです。なぜならば、この本の言う通りに勉強したとしても、難関大合格までの間に「壁」にぶちあたるからです。だから、この人のやりかただけで、現代文を極めようとしてもダメです。

この本で、板野さんは接続語に着目して接続語通りに読むことを強調します。「接続語」に決まったマークをして、決まった「頭の働き」をさせることの練習をするための参考書としては(市販では)最高の参考書です。だから、「初心者」はまずこの板野さんの参考書のように頭を働かせることを目標にしましょう。色んな文章を読んでいて、板野さんの示す記号をしっかりと書けるようになればよいのです。

接続語の種類を知る


だいたいの場合、板野さんの参考書で足ります。けれども、それでは物足りないという人にはこの本はとてもいい本です。「1」の練習というよりは「2」「3」の練習です。そのためにこの本を読めば、まさに目から鱗が落ちるといってもいいような本です。



さて、接続語についてイメージを持っていただけたでしょうか。次回は「型」「枠組み」の話をしたいと思います。