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2013年10月

模範解答は…やってません。すみません…。

過去問に対する模範解答って作っていますか。設問通りに(○○字以内に書け、など過去問にあるそのままの問題条件で。)総合政策的アプローチを使った模範解答作ってもらえたら、更に分かりやすくて、具体的にどこがどういけないのかという見比べもより容易になると思うんですが…なんとか作ってもらえないでしょうか?

(非公開のコメントなので一部変更しています。)
これは、やってません。ごめんなさい。書くつもりもありません。模範解答はそれ自体が「一人歩き」をするので嫌いなんです。(「速報」は今年もやりますよー。たぶん。笑。)「総合政策的アプローチ」を使って、2012年の環境情報学部の問題を、幾通りにも解く事ができます。まさしくお考えの通りで、安易に「模範解答」を作ってしまうと、「容易に見比べをする人」が出てきてしまうのが、一番困ってしまうところです。ご自分の書いた文章をご投稿いただいて、「論理の話はそこまで書かなくていいから、この題材で総合政策的アプローチでちょちょいと書き直して」みたいに趣旨を頂ければ、対応はしてみます。その場合も、「模範解答」とは書かないと思いますが…。
問題に「図を用いてもよい」と書いてあるものがありますが、書く事がなければ書かなくてもいいですか?それで減点対象になることはありますか?
書く事がなければ書かなくてもかまいません。それが減点対象になることはありません。それを減点対象にしたら、設問が嘘になりますしね。

ちなみに私ならば絶対に書きます。なぜならば、図を描いた方が、断然に(論理)構造がわかりやすくなるためです。どれだけがんばっても文章は一直線の表現しかできないので、図に劣ってしまいます。だから、矢印や箱を使った模式図を書きます。イラストというよりは。絵のうまい下手を気にしなくていいですしね。

「戦え、ダイエッター!」ではなく「勉強の計画について」

ご投稿いただいた内容に返信をさせていただきますね。
不安で勉強に手がつかなくなって来ました。
計画の過不足等のチェックをして頂ければ、そして何か助言を頂ければと思っています。
という内容でご投稿いただいているものに対する返信です。

もし、総合政策学部なり環境情報学部なりに合格したいのであれば、まずは「過去問」をやりましょう。バカの一つ覚えのように言っていますが、「過去問」をやりましょう。大学受験は、周囲との勝負です。周りの人よりもよい点をとれるかどうかだけが「論点」です。非常にわかりやすいです。このことは、「よりよい点をとる」ことを意味しません。他の箇所で説明をしているので、何度も繰り返したりはしませんが、SFCの英語は総合政策学部・環境情報学部共に、「過去問」を解く事が優位になる大学です。毎年、ころころ傾向が変わったりしません。だから、「過去問を解けば解く」ほど、SFC向けの力がつきます。これが1点目。

そして、2点目の方がよほど重要なのですが、ある程度力がついたら「自分の弱点を克服する」あるいは「強みを伸ばす」という勉強法をとる必要があります。これは、いわば「採点力」のような力がないとできません。付け加えるならば、自分のミスと不足を認める「勇気」です。ある程度の実力がないと、問題を解いて、採点をして、間違ったところ「だけ」を見直して終わり、という勉強法になりがちです。はじめのころは、これでよいのですが、自分に力がついてくると、これでは実力が大きく伸びることはありません。
 ご質問いただいた方が、運動をなさるかどうかは私はわからないのですが、たまには恋愛ではなく運動で例えてみましょう。例えば、「教科書通りに」運動をしたら、きれいに筋肉がついたり、すらっと痩せたりすると思いますか。そんなことは無いはずです。もちろん、しばらくは教科書通りに運動しているうちに、あるいはインストラクターや先生にしたがっているうちに、確実に効果はでます。けれども、その効果の結果、どこかに「いびつ」が出ます。せっかく痩せてきたけど、胸も痩せちゃった、とかよくある話です。だいたいそんなの気にしなくてもいいぐらいの人がそういうことを言うんですが…。さらには、「欲」もでます。ウェストが減った分、太ももが(相対的に)太ったように見えるから、もちろん太もももけっこう痩せたんだけれどもさらに太もも痩せを目指そう、とか。男性ならば、上腕二頭筋が成長した分、広背筋が貧弱に見えるから、そちらを鍛えよう、と思うかもしれません。
 こうなった場合、「太もも痩せ」や「広背筋のトレーニング」について、「より知る必要」が出てきます。

SFC英語にとっての「太ももあたりがまだ目立つな…」とか「今度は、広背筋を鍛えよう。」は、鏡を見て判断するわけには行きません。あるいは「過去問」という「鏡」が必要と言い直すべきでしょうか。「過去問」という「鏡」を見て、自分が足りないところを見つめるわけです。もちろん、鏡を一回見たぐらいでは、よい判断が出来ないかもしれないので、「過去問」という鏡を何回かのぞき込む必要があります。けれども、「鏡」を見続けているだけではただのナルシストですので、「鏡」を見たら、その分、自分を鍛えなければなりません。「どこを鍛えたらいいのか」ということは、もう教科書にも、雑誌にも描いていません。いまのはちょっと言い過ぎですが、少なくとも「単なる痩せたい」から「あのモデルさんみたいな体型になりたい」に思考を変えなければなりません。だから、教科書や雑誌の利用方法も変わります。そして、最初の「教科書通りのトレーニング」から「自分専用のトレーニング」に変わります。変えるべきです。そして、しばらくトレーニングをしたら、また「鏡」をのぞき込んで「自分専用のトレーニング」を修正すべきです。

「自分専用のトレーニング」なのだから、「成功」も「失敗」も自分で判断しなければなりません。同じ点数・同じ時間でも、「全体的にスムーズに解けた。」「自信を持って選べる選択肢がふえた」ということを自分で気づいてあげて、「自分専用のトレーニングにしてあげる」必要があります。これは「主観」とも「客観」とは、また別の「心の働き」です。

あとは単純です。あなたが、「教科書通りのトレーニング」から「自分専用のトレーニング」をすべき時期かどうか、ということだけが私がお伝えできるアドバイスです。あなた専用のトレーニングをあなたではない私が作ることはできませんから。ということで、長々書きましたが、そこまでよい点数がとれているのであれば「自分専用のトレーニング」をしてみてください。そして、「自分専用のトレーニング」を失敗してみてください。時間はまだありますから。恐らくは失敗にはならずに教訓になるぐらいの実力はあると思いますので、たとえその1回のレビューを見たら失敗であっても、2回は効率的に行う為の教訓を得ることができると思います。小論文についても、一度ご自分で書いてみてください。そして、誰かに見てもらってください。また自分で見てみてください。まずはそこからだと思います。意外に冷静に見つめ直してみたら、ゴールは近く見えるかもしれませんよ。前にも書きましたが、どこの大学でもそうですが「勉強時間が多いほど合格確率は上がります。」これは当たり前です。不安にならずに動いてみることが大事です。逆に言えば、たぶん「今日、決めた学習計画」は「二週間か、三週間後」には、変わっていないとおかしいのです。自分の選択肢が正しかろうと正しくなかろうと、1日の学習時間と次の行動を変えるタイミングは、一般的なものはなかなか構築しづらいので、自分で体得した方が早いと思います。3日・3週間・3ヶ月・3年と、3の付くタイミングは時々標語のように言われます。もちろん、「まじめにやった」という前提で、その自分のトレーニングが「完全にあやまっているかどうか」は「3日」でわかると思いますし、同じトレーニングは「3週間で微調整を行う」べきだと思います。(このタイミングはダイエットや筋力トレーニングとは異なるのですが。)

ここまでが前半。



後半部分は、それこそ、私のような人間が何を書けるんだろう…、という内容なので、とても返事をさせていただくのが難しいのですが、少しだけ。

私はまだ修行不足なのでしょうが、「知ると怖くなる」と同時に「知らなかった自分がさらに怖く」なります。すると、突き詰めると私は「知らないことがまだたくさんある」ので、「知らないいまの自分が怖く」なり、どんどんどんどん「知りたく」なります。そして、知ったら知ったで絶望します。「わかった瞬間」はとても「感動する」と同時に、なんでこんな大事なことを私は知らなかったんだろう、と。その繰り返しです。宗教の話はとても難しいので、うかつには踏み込めませんが、禅的生活という本の中で、玄侑宗久氏が「禅」とは「『あきらめられない』と『あきらめること』」というようなことを言っていたのは、私のお勉強姿勢につながると思っています。

ちなみに、SFCの問題解決では宗教的解決を扱わない、とは書いていますものの、それは大学生が宗教を勉強する必要がないということを意味しません。総合政策的アプローチでは、「来世」「末法」「裁き」とかそういうものの存在を認めることで、「問題が問題でない」とみなす思考に陥るのが面倒なので省いているだけです。宗教は、積極的に勉強すべきだと思います。世界史・絵画・彫刻などを理解する時に、宗教を知らないとおもしろさが半減する(下手すれば10分の1ぐらいになることも…)、というのもありますしね。シヴァ神を踏みつける仏様とか大好きです。かっこいいし。それに、科学的態度と宗教が相容れないわけではありません。科学者にも熱心な宗教家はたくさんいますしね。ただ、大学ではあやしいサークルにはくれぐれもご注意ください。

とにかく、自信を持って、過信せずに、あと4ヶ月がんばりましょう。

環境情報学部 2011年 その2

環境情報学部 2011年 その1の続きです。
(2)この問題を正確に把握するために、曲を聴きたい人の数を把握する必要がある。このデータを把握することで、cd購入者の目的を判別することができるからだ。つまり、音楽を聴くためにcdを購入するのか、またはオマケを購入するためにcdを購入するのかどうかということを知ることができるのだ。 具体的には、cdを購入する目的を把握するために、動画投稿サイトの視聴回数に注目する。それは、このサイトにはオマケ目的で見る人がいないかだ。つまり、音楽を聴きたいという気持ちで見ている人がこのサイトを見ているである。さて、この計量方法は、以下に述べる。まず、曲の制作者は、1分ほどのプロモーションビデオ作成する。次に、動画投稿サイトにこれを流す。さらに、このpvが再生された回数を計測する。それゆえに、再生回数が多ければ多いほど、曲を聴くために動画を見ている人の割合が高いことが判明するのだ。
この問題を正確に把握するために、曲を聴きたい人の数を把握する必要がある。(2)は、(1)の内容が一貫していないため、意味がよく通っていません。この部分を書き換えると、「日本の音楽文化が廃れていることを把握するために、曲を聴きたい人の数を把握する必要がある。」ですね。「廃れていること」を把握する、というところが既に奇妙です。このデータを把握することで、cd購入者の目的を判別することができるからだ。つまり、音楽を聴くためにcdを購入するのか、またはオマケを購入するためにcdを購入するのかどうかということを知ることができるのだ。(1)を無視して話を進めると、ここはそれなりに論理的な部分。「つまり」がきちんと言葉の役割を果たしています。本当は、「つまり」の前の文章は「〜からだ」で理由をさしているので、次の文章も「〜からだ」など理由で揃えたいところですが許容範囲です。減点にもならないでしょう。「このデータを把握すれば、CD購入者の目的を判別できる。=音楽を聴くためorオマケを購入するかを判別できる。」ここで頭の中の隠れた前提として「CD購入者の目的を、曲を聞くか、オマケを買うか、に限定している」ことに注意が必要。

この手の隠れた前提は、文章中に「あってはいけない」ものではありません。但し、その隠れた前提を、書いている本人が把握しているか、していないか、は極めて重要。

ちなみに、この方の場合は把握していないでしょう。具体的には、cdを購入する目的を把握するために、動画投稿サイトの視聴回数に注目する。それは、このサイトにはオマケ目的で見る人がいないかだ。つまり、音楽を聴きたいという気持ちで見ている人がこのサイトを見ているである。続けて論理的。「具体的には」でさらに言い換えをすることを指し示します。「見る人がいないかだ」の部分は単なる誤植ですね。たぶんこれも減点されないでしょう。1点ぐらいなら引かれるかもしれませんけれども…。続いての文章は「視聴回数に注目する理由は、CDのオマケを目当てに動画投稿サイトを見る人はいないからだ」ぐらいの意味でしょう。これは普通に読み取れます。次の「つまり」も、そこそこ許せる範囲です。「つまり、音楽を聴きたいという気持ちで見ている人がこのサイトを見ているということである」ぐらいでしょうね。語尾部分はこれも誤植。それより重要なのは、「隠れた前提」の話。「隠れた前提」がなければ、この「つまり」は成り立ちません。例えば、最近わたしは「AKB48 恋するフォーチュンクッキー」をyoutubeで検索しました。これを見た理由は、「この曲を聞きたいから」というよりは、いろんな集団がこの曲を踊っているものを動画共有サイトに投稿しているので、元の踊りを見てみたかったからです。だから、「隠れた前提」を認めれば、この「つまり」は論理的。その「隠れた前提」がなければ、本来の意味では論理的ではありません。さて、この計量方法は、以下に述べる。次に述べる内容を導入する部分。論理的には正しい。私が小論文を書くのであれば、字数稼ぎにしかならないのでこういう書き方はしませんが。例えば、「次にその計量方法を3段階で説明する。」ぐらいであればあってもいいでしょうか。多少情報もふえていますし。まず、曲の制作者は、1分ほどのプロモーションビデオ作成する。次に、動画投稿サイトにこれを流す。さらに、このpvが再生された回数を計測する。ここも論理的なので解説不要でしょう。それゆえに、再生回数が多ければ多いほど、曲を聴くために動画を見ている人の割合が高いことが判明するのだ。 ここは、算数的にはよくわかりません。「ある曲の再生回数」と「ある曲を聞くために動画を見ている人の割合」は必ずしも比例しません。一部のコアなファンがついているおまけなしの演歌歌手の「動画再生回数」は、AKB48の握手券付きの曲よりもその回数が少ないと思われます。けれども、この演歌歌手の動画をその曲を聴く為に動画を見ている人の割合が、AKBの握手券付曲よりも必ず低いとは限りません。むしろ相当高いでしょう。よって、「それゆえに」の内容はイマイチです。文章中でも「数」と「割合」という言葉が混同して用いられているように思えます。ここは、算数力という意味の論理力ではマイナス点でしょう。

個人的には、ラジオや有線放送のランキングと動画共有サイトとのランキングの違いも気になるところです。続いて問3も見てしまいましょうか。
(3)新しい単位としてreal sales figure(以下rsfとする)を考案する。rsfの計算方法は以下に述べる。まず、二つの一次関数を作成する。一つ目はx軸を時間、y軸をcdの販売枚数とする。二つ目は、x軸を時間、y軸を問2で述べたpvの再生回数を利用したものとする。この2つの1次関数の差があらわすものがrsfである。この単位が表す数値は、曲を聴くために購入されたcdの枚数を意味するのだ。
新しい単位としてreal sales figure(以下rsfとする)を考案する。ここはこれでいいと思います。rsfの計算方法は以下に述べる。あってもいいけれども不要な部分。まず、二つの一次関数を作成する。一つ目はx軸を時間、y軸をcdの販売枚数とする。二つ目は、x軸を時間、y軸を問2で述べたpvの再生回数を利用したものとする。この「まず」は、この後に、受ける接続詞がないので書かない方がよい「まず」です。論理的にはちょっとだけマイナス。

この部分は「一次関数」という言葉がよくありません。非常によくない。この一次関数という言葉は書かない方がよいです。なぜならば、「時間」と「CDの販売枚数」は一次の関係(線形)の関係にならないはずだからです。「一次関数」とは、「y=ax+b」で表現できる関数のこと、としておきましょう。ここで、x=0の時、b=0と置くのが現実的ですね。計測開始時には、まだCDは一枚も売れていません、という前提は自然です。そうすると、ご記載内容からは「y(販売枚数)=at(時間)」という式の形になります。ところが、CDの場合、例えば握手券付きの曲ならば、そういうものをほしい方が我先に買うので、tが小さい時に、傾きaが大きく、tが大きくなれば傾きaは小さくなります。こういった関数は一次関数とは言いませんよね。対数的に増加するといってもよいかもしれません。もう一つ例をあげれば、ドラマ等の主題歌で有名になる場合、この場合は発売当初は傾きaはそれなりでしょう。そのドラマのファンとアーティストのファンが買うぐらいです。ところが、ドラマ自体が爆発的に人気が出た場合、この傾きaは跳ね上がります。ファン以外も買うからです。これも一次関数ではあらわせません。

ここでは「時間」の概念を無視して、単に「販売枚数」「再生回数」とするのが現実的です。「時間」の概念をどうしても入れたければ、「単位時間あたりの販売枚数」や「単位時間あたりの再生回数」とでもするか、外部のイベントと連動型のCDについてはイベント終了後の販売枚数に着目するとか…。どれも欠点はありますが…。この2つの1次関数の差があらわすものがrsfである。勝手に引かないで下さい。どうして単位が揃っていないものを勝手に引くんですか?

机の上にみかんが5個あります。ここからりんごを2個持っていきました。さて、みかんは机の上にいくつあるでしょう。

答えられません(笑)。順当に計算すれば5個です。あるいは、みかんに対する動作に言及する文章がないので、「不明」と答えることも可能です。

勝手に「販売枚数」から「再生回数」を引いてはいけません。この計算をすると、real sales figureがマイナスになることもありえます。別にマイナスになってもかまわないと思ったらいいんですけれども。

「哲学」や「論理」の前に、「生活の前提」というのがあります。コンピューターには判断が難しいことの一つです。例えば、いまこの場に5人いて、机の上にみかんが3個あります。一人一人に平等に分けるためには、2個足りません。ここでみかんを2個足せばみんなできれいに分けられます。あるいはみかんを手で向いて中身の房で分けるとか、ナイフで切るなどして0.6個に分けることも可能です。これ以外に人間であれば、たとえばバナナを2個持ってきて5個にした上で、ひとりひとつずつに分けることも可能です。これは、頭の中で、「みかん」「バナナ」という別のものを「デザート」あるいは「フルーツ」という区分に抽象する頭の働きがあるからできることです。けれども、この方法は例えば「バナナ」の代わりに「ドリアン」や「スイカ」を持ってきたら成立しないかもしれません。彼氏と別れたばかりの時に「男なんか他にもたくさんいるんだから」と慰められても困るのも似たような論理ですね。私の頭の中では、「彼氏」と「他の男性」は別のものなのに、慰めてくれる人の頭の中では「彼氏」という存在としてひとくくりにされています。この場合は −1(前の彼氏)+1(今後会うだろう新しい彼氏)=0(元の状態)という足し算が出来ない、ということですね。

ここではそういったことを考えないと、出題文の「問題を正確に把握するために」という前提が満たされません。
この単位が表す数値は、曲を聴くために購入されたcdの枚数を意味するのだ。
購入者が少ないけれども、再生数が多い音楽の場合はどうしますか?曲を目当てにCDを買うファンが100人いるアーティストについて考えます。このファンたちは、CDの販売が待ちきれずにYoutubeで動画再生を多数行い、1日1回聞きました。CD発売日までは1ヶ月の期間があったので、トータルで3,100回再生されました。発売日が来たのでCDが100枚売れました。RSF=-3,000です。この計算はおかしいでしょう。だって、曲を聴く為に購入されたCDの枚数は100枚ですから。だから、この単位は、問題を正確に表すことはできません。(この場合だと基数的な反例を示しただけで、序数的な反例は示せていませんが…たぶんそれがわかる人はこういうところでつまづかないと思うので…割愛。序数的な反例も簡単ですけどね。)
問3で考案した単位「rsf」は、cd購入時に生じる目的逆転現象を理解するのに役立つだろう。なぜなら、rsfによって、曲とオマケの価値を明らかにすることができるからだ。例えば、RSFの数値が高ければ高いほど、曲を聴く目的で購入するcd購入している人の割合が高い。一方で、この数値が低ければ低いほど、オマケを購入する目的でcdを購入している人の割合が高い。つまり、rsfによって、cd購入者の価値観を明らかにすることができるのである。 さらに、無名だが実力があるミュージシャンの発掘をすることに役立つだろう。例えば、ジャスティンビーバというカナダ人がいる。彼は、自分の歌声を録音した動画をYOUTUBEに投稿した。その結果、彼の高い歌唱力が評価されて、動画再生数が伸び、世界を代表するポップミュージシャンとなったのだ。要するに、rsfは若者の行動を増進する要因なのだ。 また、RSFによって、日本の文化を発信するクールジャパンをよりよいものとするだろう。この単位によって、必然的に実力のあるミュージシャンが世界に発信されるからだ。つまり、彼が無名でも世界に発信されるべき人材とされ、この政策をよりよいものとするのだ。 すなわち、rsfは次世代の音楽業界を担う者の行動を増進させる働きがある。ゆえに、外貨獲得により社会全体の効用をプラスをにすることができるだろう。
問3で考案した単位「rsf」は、cd購入時に生じる目的逆転現象を理解するのに役立つだろう。なぜなら、rsfによって、曲とオマケの価値を明らかにすることができるからだ。例えば、RSFの数値が高ければ高いほど、曲を聴く目的で購入するcd購入している人の割合が高い。一方で、この数値が低ければ低いほど、オマケを購入する目的でcdを購入している人の割合が高い。つまり、rsfによって、cd購入者の価値観を明らかにすることができるのである。文章の中身自体は、3の解説で否定をしているので解説はなしにします。論理部分だけは、きれいですね。一文目主張、二文目は「なぜなら〜からだ」で理由で受けています。この部分は論理的。次の文章は「例えば」でその「例」を示しているので意味として成り立ちます。次の「一方で」では、「例えば、A 一方で B」と「例えば」の例のうちの「一方」を示しています。「例えば」の中に「一方で」がある、ということは文構造上は読み取れませんが、意味内容から読み取れるのでこれは全く問題ないです。最後の「つまり」も、一文目の言い換えとして妥当です。(何度も言いますが、この「つまり」が成立するのは隠れた前提を認める場合のみです。)

論理的という意味ではここの部分は非常にわかりやすいです。但し、「論理」と「内容の妥当性」は別物なので、「内容の妥当性」を考えるとすんなりとは理解できません。さらに、無名だが実力があるミュージシャンの発掘をすることに役立つだろう。例えば、ジャスティンビーバというカナダ人がいる。彼は、自分の歌声を録音した動画をYOUTUBEに投稿した。その結果、彼の高い歌唱力が評価されて、動画再生数が伸び、世界を代表するポップミュージシャンとなったのだ。要するに、rsfは若者の行動を増進する要因なのだ。私は、正確にジャスティン・ビーバーについては知りませんが、これは不適当な例だと思います。まず、定義上rsfは「CDを販売している」かつ「動画投稿をする」アーティストについてしか計算できない単位です。仮に、ジャスティン・ビーバーがCDを出しているのにも関わらずあんまり販売が伸びていなかったけれども、Youtube等の動画サイトから人気が出たのであれば、「rsf」は意味のある数字でしょう。一方で、Youtubeの動画を出していた頃は、CD販売をしていなかったのであれば、これは「rsf」の例としては不適当でしょう。この順序関係について、私はよくは知りませんが、恐らくは後者ではないか、と思います。無名なミュージシャンの発掘という点に関しては、別の論理が働いているはずです。あとは、致命的ではないものの、「要するに、rsfは若者の行動を増進する要因なのだ。」も、イマイチ。上述の「CDを販売していなければ、rsfは計算できない」という点以外に、なぜ「若者」に限定するのか、という理由が読めません。また、RSFによって、日本の文化を発信するクールジャパンをよりよいものとするだろう。この単位によって、必然的に実力のあるミュージシャンが世界に発信されるからだ。つまり、彼が無名でも世界に発信されるべき人材とされ、この政策をよりよいものとするのだ。ここもイマイチです。有名・無名と日本・グローバルの関係が至極わかりづらいです。すなわち、rsfは次世代の音楽業界を担う者の行動を増進させる働きがある。ゆえに、外貨獲得により社会全体の効用をプラスをにすることができるだろう。この文章に関しては、論理的には気になりません。内容は、(1)で述べたので割愛しますが…。

総評

この答案は、パーツパーツの論理が揃っているので、文章としてはそれなりに読みやすい文章…のはずです。それなのに、ちぐはぐ感が拭えないのは、解説をした通りです。論理構造に関しては、これで十分ですので、内容のつながりをもう少し考えてみて下さい。風呂敷を広げ過ぎているところも気になります。そんなに「この問題は大変な問題なんだ」と強調することに、真剣にならなくてもいいですよ。

内容を吟味する場合は、とにかく同じ小論文の「書き直し」が有効です。「論理」自体は、多数の文書をいろんな形で書く事が重要になりますが、「内容の論理性」となると、同じ文章をよく書けるかどうかが鍵になります。とにかく、同じ文章をもっとわかりやすく書き直してみましょう。

総合政策的アプローチでいうと「問題の設定」がうまくできていません。結局、あなたが一番「問題と思う事」は何でしょうか?ここをきちんと主張してください。総合政策的アプローチのステップ3を「解決策の検討」の最後に「(7)副作用の検討」というステップをもうけていますが、これは言い換えると「(7)’副次的効果の検討」ということも可能です。「解決策」を実施した場合、「副作用」以外に「副次的効果」もあるのは当然なんです。問題解決を行う時にはそれを考えることが不可欠です。ところが、それに関して書くと「軸」がぶれてしまいます。だから、総合政策的アプローチではそれについて触れていません。ジャスティン・ビーバーから先の文章はその「副次的効果」に似たものを感じます。「問題の設定」が明確でない以上、ジャスティン・ビーバーから先の効果が「求めたい効果」でそれ以外が「副次効果」の可能性もありますが。いずれにせよ、「問題の設定」がきちんとなされていないので、読み手である私には理解ができません。

このあたりが難点だと思います。

SFC小論文に特定の「ネタ」対策はいらないんですよ…。

ご質問をいただきましたのでご回答させていただきます。
質問の欄に書きたかったのですが、見当たらなかったのでここに書きした。
コメント欄にご記載いただければ、ご回答します。管理人のみにしか見えない形でご投稿いただくと、どこまで掲載していいかわからなくなるので、全体に見える形の方がうれしいです。今回は、ほぼ全文をのせさせていただきますが。

はじめに:SFCを「第1志望」にするかどうかを決めてください。

SFCが第1志望ではないのであれば、SFC対策はしないほうがいいです。他大と比較すると特殊なので。「時間がないから・・・」ということを気にするのであれば、まず「第1志望にするか・しないか。」要は対策をするかしないかを決めた方がよいです。SFCを第1志望にするのであれば、このブログを熟読していただければよいか、と思います。

あとは質問のご回答です。

1、総合政策的アプローチとフレームワークは絶対一緒に使ったほうがいいですか?
「総合政策的アプローチ」と「フレームワーク」の関係は、「テニス」と「スポーツ」の関係と同じです。つまり、フレームワーク思考の一種が「総合政策的アプローチ」です。だから、総合政策的アプローチを用いれば、自然とフレームワーク思考を使っていることになります。
2、新聞よんだり、NEWSを見たりしても、内容を忘れるんですが、そういう場合、ネタにしようと思ったモノは書きとめたほうがいいですよね。あと、そういうモノを沢山触れすぎて、実際に使えるネタにならなければ知識として持ってても意味ないですよね。そうなると、どの程度、新聞やNEWSなど情報を知って、どういう見方で読めばいいんですかね?今はボケーッとただ新聞に目を通して、NEWSの記事を読んで、『そうかそうか』とうなづいてるだけなんですが…全く意味ないのは自分でもわかってます。
SFC小論文の対策に、積極的な「ネタ集め」は不要です。そもそも「小論文」は、「ある分野に対して深い知識や関連する知識やネタを確認するため」という前提が皆さんの頭の中にこびりついています。SFC小論文ではそれは不要です。その前提がおかしいんです。記載された「ネタ」の優劣は競われません。だから、ネタ集めのために、新聞やテレビのニュースを見るのは時間の無駄です。

設問や資料文を読むのに困らない程度の知識を身につけておいてください。それは、小難しい論文を読むような知識ではなくて、新聞がそこそこ理解できる程度の知識で十分です。

あとは、「忘れるようなネタ」はあなたにとって「その程度のもの」です。忘れちゃってください。そんなものであれば本番で有効には使えませんから。ネタがネタになるかどうかは、自分が自分のまわりで起こっていることをうまく解釈する能力があるか、そして噛み砕いて自分の身近にできる能力があるか、にかかっています。
3、政治経済、現代社会の教科書を読むのがいいと何処かに書いてありましたが、ズバリオススメの上記2つの分かりやすい参考書(教科書)ってありますか?時間がないので、極力ササッと読めるモノがあればいいんですけど…
新聞がそこそこ読めれば、特段政治・経済の教科書や現代社会の教科書なんて読まなくてもよいです。特段、オススメの参考書はありません。書店で適当に選べばいいと思いますよ。漫画で読みたければ、大学受験らくらくブック 政治・経済―点につながる!流れがわかる! (新マンガゼミナール)こんなんでいいですよ。新聞を読むための基礎知識をつければいいだけですから。
4、ブログ内で色々なSFC小論文の合格対策を述べられていますが、試験までもう時間があまり残されていないので、必要最低限というか、これだったら軸もブレずにうまくまとまった文章がかける!といった解答策はないですか?自分は下のようにSFC小論文を解こうと考えてます。
『総合政策的アプローチ』『フレームワーク』『ネタ(ゲームが好きなのでゲームネタ)』『“理想の○○を考える”という切り口⇒ネタを使いづらいもしくは使えない時』で本番勝負しようと思ってます。
「総合政策的アプローチ」を使うのは、軸をぶらさないためです。その「軸」とは「SFCで活躍するための素地があることを見せる=SFCで必要とされる問題解決のアプローチを行う素地があることを見せること」です。だから「総合政策的アプローチ」を身につけるのが一番はじめであり、これが必要最低限です。あとは論理力。言いたい事をわかりやすく伝える力です。この二つがあれば十分です。他は不要です。

例えば、「理想の○○を考える」というのは、「問題解決」と言われるとすぐに「悪いところ」を治す、という思考になるのを防ぐための訓練法であり、本番で使える思考のための質問文でもあります。但し、それは総合政策的アプローチの「問題の設定」を柔軟にできるようになれば、特段不要になりますし、あるいは自然にそれができるようになります。総合政策的アプローチは、そんなに難しいものではないですよ。だから、それを学んでしまったほうが早いです。
6、持っておくと便利なネタの分野をいくつか教えてくれませんか?
「ない」です。SFC小論文は採点官が好むネタを書けば受かる試験ではありません。ネタが有効かどうかは、その本人の興味によるものなので私に決められるものではありません。あえて言えば、興味があるからといって、違法行為・反社会行為をネタにするのは社会道徳としてやめた方がいいと思いますよ。

それよりも、自分が持っている「ネタ」を、過去問の各年度にどうやって応用するか、をじっくり考えた方がよいです。ゲームならゲームでかまいません。ゲームを使って、2011年総合政策学部の小論文をどう解くか、2013年の環境情報学部の小論文をどう解くか、を考えておく…などなど。あえていえば、それが「ネタ」集めです。
7、ネタの使い方が基本的に分かりません。どこをどう繋げればいいんですか?例えば、新聞から少子高齢化の記事を読む⇒それを一応書き留める⇒それだと知識だけだから、経験みたいにして自分の意見として持っておく⇒本番でその類の問題が出る⇒そのネタを書いて、アプローチを使いつつ⇒結論を述べる、みたいな感じにしようと思ってるのですが…
ネタの話はもう再三書いたのでひと言だけ。SFC小論文で「ネタ」は不要です。ネタ自体には点数はつかないと思った方がよいです。

最近、添削させていただいて思うのは、「設問」をしっかり読んでください、ということです。これは100回ぐらい繰り返したいです。設問に書いてある通りに書いている方があまりにも少ない。特に最近のSFC小論文は、設問の指示にしたがって書けば、字数もだいたい埋まるようになっていますし、論理的にも答えられるようになっています。だから、一般的な対策を事前に練るのではなく、「設問の指示通りに書く」という練習をするのが、いちばんよい書き方です。

こんな感じです。

SFCが第1志望で、学科試験(英語or数学)がそこそこ出来ていれば、今から小論文の対策をしても十分に間に合いますよ。

環境情報学部 2011年 その1

添削お願いします 環境2011
(1)解決しようとする問題は、日本の音楽文化が廃れていることだ。以下これについて述べる。最近オマケ付きcdを販売することで売り上げが伸びる傾向が強い。例えばakb48の握手券付きcdは凄まじい売り上げを残している。つまり、cdを購入する目的が変化しているのだ。ゆえに、良い曲を制作することを志す若者の行動を減退させる原因となるのだ。その結果、次世代の文化が廃れるため、社会全体が不効用となるのだ。
(2)この問題を正確に把握するために、曲を聴きたい人の数を把握する必要がある。このデータを把握することで、cd購入者の目的を判別することができるからだ。つまり、音楽を聴くためにcdを購入するのか、またはオマケを購入するためにcdを購入するのかどうかということを知ることができるのだ。 具体的には、cdを購入する目的を把握するために、動画投稿サイトの視聴回数に注目する。それは、このサイトにはオマケ目的で見る人がいないかだ。つまり、音楽を聴きたいという気持ちで見ている人がこのサイトを見ているである。さて、この計量方法は、以下に述べる。まず、曲の制作者は、1分ほどのプロモーションビデオ作成する。次に、動画投稿サイトにこれを流す。さらに、このpvが再生された回数を計測する。それゆえに、再生回数が多ければ多いほど、曲を聴くために動画を見ている人の割合が高いことが判明するのだ。
(3)新しい単位としてreal sales figure(以下rsfとする)を考案する。rsfの計算方法は以下に述べる。まず、二つの一次関数を作成する。一つ目はx軸を時間、y軸をcdの販売枚数とする。二つ目は、x軸を時間、y軸を問2で述べたpvの再生回数を利用したものとする。この2つの1次関数の差があらわすものがrsfである。この単位が表す数値は、曲を聴くために購入されたcdの枚数を意味するのだ。
(4) 問3で考案した単位「rsf」は、cd購入時に生じる目的逆転現象を理解するのに役立つだろう。なぜなら、rsfによって、曲とオマケの価値を明らかにすることができるからだ。例えば、RSFの数値が高ければ高いほど、曲を聴く目的で購入するcd購入している人の割合が高い。一方で、この数値が低ければ低いほど、オマケを購入する目的でcdを購入している人の割合が高い。つまり、rsfによって、cd購入者の価値観を明らかにすることができるのである。 さらに、無名だが実力があるミュージシャンの発掘をすることに役立つだろう。例えば、ジャスティンビーバというカナダ人がいる。彼は、自分の歌声を録音した動画をYOUTUBEに投稿した。その結果、彼の高い歌唱力が評価されて、動画再生数が伸び、世界を代表するポップミュージシャンとなったのだ。要するに、rsfは若者の行動を増進する要因なのだ。 また、RSFによって、日本の文化を発信するクールジャパンをよりよいものとするだろう。この単位によって、必然的に実力のあるミュージシャンが世界に発信されるからだ。つまり、彼が無名でも世界に発信されるべき人材とされ、この政策をよりよいものとするのだ。 すなわち、rsfは次世代の音楽業界を担う者の行動を増進させる働きがある。ゆえに、外貨獲得により社会全体の効用をプラスをにすることができるだろう。

問題1

解決しようとする問題は、日本の音楽文化が廃れていることだ。以下これについて述べる。最近オマケ付きcdを販売することで売り上げが伸びる傾向が強い。例えばakb48の握手券付きcdは凄まじい売り上げを残している。つまり、cdを購入する目的が変化しているのだ。ゆえに、良い曲を制作することを志す若者の行動を減退させる原因となるのだ。その結果、次世代の文化が廃れるため、社会全体が不効用となるのだ。
この方の小論文ですが、あまりよろしくない答案の典型例みたいな感じですね。一個ずつ見ていきましょう。解決しようとする問題は、日本の音楽文化が廃れていることだ。導入部分です。まず「私はこういうことを書くぞ」というテーマ設定をしました。小論文を自分で見ていく時のポイントは、文と文の関係、段落と段落の関係を、つぶさに見ていく事です。だから一つ一つの文章については多くのことは言えません。続く文章は以下これについて述べる。ですから、「日本の音楽文化が廃れている」ことが今回のテーマ設定だ、ということがわかります。ちなみに私ならば、この部分書きません。あまり意味がないので。最近オマケ付きcdを販売することで売り上げが伸びる傾向が強い。例えばakb48の握手券付きcdは凄まじい売り上げを残している。つまり、cdを購入する目的が変化しているのだ。ここは論理的に構成されています。

 (主張)最近オマケ付きcdを販売することで売り上げが伸びる傾向が強い。
 (例示)例えばakb48の握手券付きcdは凄まじい売り上げを残している。
 (換言)つまり、cdを購入する目的が変化しているのだ。

そこまで悪くはないですよね。もちろん、手放しで褒めたい文章ではありません。

 (主張)CDを購入する目的が変化している。
 (例示)AKB48の握手券付きCDが凄まじい売上を記録していることはこの一例であろう。

等の方がすっきりします。ここで「いいたいこと」は少なくとも「オマケ付きCD」がたくさん売れている、ということではありません。「CDを購入する目的が変化している」ことの方が、本当に「いいたいこと」のはずです。ゆえに、良い曲を制作することを志す若者の行動を減退させる原因となるのだ。ここの「ゆえに」は、よくわからない「ゆえに」です。これを一文にすると「CDを購入する目的が変化しているから、良い曲を制作することを志す若者の行動を減退させる原因となる。」とでもなるでしょうか。CDを購入する目的が変化しているからといって、作り手がよい曲を作らなくなるなる、と言われてもそれには疑問符がつきます。ここをつなぐためには、「握手券などのおまけに対するコストがふえるため、アーティストに支払われる対価が少なくなる。だから、優秀なアーティストが音楽を志さなくなる」であるとか、「歌い手のアイドルを魅力的に見せるため、彼女らの見せ場を作るような曲作りを余儀なくされてしまう。」であるとか、もう一文ないと「意味」が伝わりません。その結果、次世代の文化が廃れるため、社会全体が不効用となるのだ。 これも飛び過ぎですよね。「よい曲を制作しなくなること」と「次世代の文化が廃れること」の関係がよくわかりません。この「飛び過ぎ感」は、説明不足というよりは、「言い過ぎ」というべきでしょう。「よい曲をアーティストが制作しなくなると、これまで育まれてきた「音楽文化」が途中で止まってしまう。」ぐらいで十分ではないでしょうか。さらには「次世代の文化が廃れること」は、なぜ「社会全体の不効用となるのか」の関係もわかりません。

ついでに説明をしてしまうと、「不効用」という言葉の使い方もわかりません。「効用」という言葉は、「使い道」や「効果」を表します。この場合は明らかに文脈からみてこれらの意味ではありません。経済学の分野では人、すなわち、個人が財やサービスを消費することに対する満足度を表します。おそらくはこの概念をさすのでしょう。だから、まず「人」ありきです。だから「社会」の効用を考えるのは難しい。なぜならば、ある人が「りんごを消費することの効用」と「みかんを消費することの効用」を、別の誰かの「りんごを消費することの効用」と「みかんを消費することの効用」を並べることが難しいからです。「序数」とか「基数」とかややこしい話が出てくるので、これ以上は説明しませんが。これを進めていくと「厚生経済学」の分野に突入していきます。そんな話は、SFC小論文には不要です。

「主張」と「文脈」

そもそも「主張」とはわかりにくいものです。この方が主張している「日本の音楽文化が廃れている」については、特段違和感のない文章でしょう。ところがここには「多義性」があります。この一文からだと「三味線のような日本の伝統的な音楽の跡継ぎがいなくなる」ということを指しているようにも見えます。ところが、そのあとの部分を見てみると、CDの売上の話をしているので、どうも三味線の話ではなさそうです。私にはこの方の文章からだけでは、何が「日本の音楽文化が廃れている」であるかを同定することはできません。けれども、「日本の音楽文化が廃れている。つまりは○○○。」ということが言えるはずです。これを定めるのは「文脈」です。文脈は、必ず前の文書と次の文章との関係で成り立ちます。

この問1でいえば、(主張)→(例示)→(換言)の部分は、その文章間の関係がうまく流れているので内容がわかりやすいです。けれども、この(主張)あるいは(換言)と、他の文章の関係がうまくつながっていないので内容がわかりづらいです。小論文では主張する際に、周囲の文章とうまく重ね合わせることによって、「多義性」のある文章を少しづつ自分の言いたい事に近づけていきます。もちろん、自分の言いたいことと全く同じ事を伝えることは不可能です。けれども、「多義性」を減らしていく事によって、言いたい事はより明確になっていきます。

(主張1)解決しようとする問題は、日本の音楽文化が廃れていることだ。(文脈規定)以下これについて述べる。(主張2)最近オマケ付きcdを販売することで売り上げが伸びる傾向が強い。(主張2を例示により補足)例えばakb48の握手券付きcdは凄まじい売り上げを残している。(主張2を換言)つまり、cdを購入する目的が変化しているのだ。(主張3:なおこの主張3は主張2から導かれる)ゆえに、良い曲を制作することを志す若者の行動を減退させる原因となるのだ。(主張4:なおこの主張4は主張3から導かれる)その結果、次世代の文化が廃れるため、社会全体が不効用となるのだ。

「あなたが解決しようとする、現実に存在している問題を200字以内で説明してください。なぜそれが問題なのかについても述べてください。」という設問なので、「主張1」〜「主張4」で「現実に存在している問題」と「なぜそれが問題なのか」について、が説明されていなければなりません。これがきちんと説明されていますか?「主張1」はいいでしょう。「現実に存在している問題」の一つ目の言い換えとしては、そこそこ妥当です。ところが、「主張1」だけではテーマが大きすぎて何がいいたいのかわかりません。ところが、「主張2」は「AKB」や「CD」などの言葉から文脈を規定して「三味線に関することを説明する気はないだろう」であるとか「購入者の目的が音楽でないことが主張1に関係するらしい」ということは伝わるものの、肝心の「主張1」の中身はわかりません。「主張2」は実質的に「主張3」「主張4」の材料になっている。「主張4」は「社会全体の不効用だから」であり、これが「なぜそれが問題なのか」でしょう。

まとめると、「日本の音楽文化が廃れていることが問題だ。なぜならば、社会全体の不効用だからだ。」だけです。一応、出題者の意図は反映してそうです。ところが、これでは何を言いたいのか検討もつきません。残りの161文字は、これをできるだけ他人にわかりやすいように説明するための部分です。これをもっとうまく使いましょう。

今回は、このあたりで。



ちなみに、これって要は、「オリコンチャートみたいな売上ランキングを参考にしたって、どんな音楽がはやっているかがわかんないよ」ぐらいの問題認識ですよね?そうであれば、それを書けばそれでいいと思いますよ。「日本の音楽文化の衰退」とか「社会の不効用」とかそんなことを書かずに。「私は、今流行している音楽が何かを知りたいと思って、売上ランキング等を利用していたが、最近おまけによる売上増が増加し、売上ランキングは使えない。だから、流行の音楽とは何かを知る新しい単位を提案する」というのは十分によい話題だと思います。


たぶん…これまでご投稿いただいた中で…最悪…。

小論文をご投稿いただきましたが…正直、コメントをまともにする気がしないです。

もし、本当にこれを真面目に書いていらっしゃるのであれば、なおかつ、それでSFC第1志望なのであれば、たぶんこんな遊びでやってるブログより、予備校でまともに見てもらった方がいいと思います。他大が第1志望でも小論文があるのであれば同様。

まず、出題者の尋ねていることに答えを出すのが最低限必要なことです。聞いていないことに対する回答があっても、それに対して点数をつけることはできないでしょう。
問1;将来、電子的な図書館が出来てから、長期的に考えると、日本語の利用者は減少する可能性が高いだろう。この理由について以下に述べる。a3で述べられている通り、大学では専門用語に英語を使用する傾向が強い。つまり、徐々に学問以外まで英語が使われる可能性が高くなるのだ。このことに関して、A3では、学問の世界とそうではない世界の境界線はあいまいだと言及されている。つまり、学問の世界で英語が使われているので、学問以外の世界でも英語が使われるのは予測できるのだ。ゆえに、日本語は日常的に使われる言語の役目を失うだろう。その結果として、日本語は国語ではなく文化的教養言語のうちの1つとなるだろう。
 この問題を解決するために、アニメを利用して日本語を外国に広める。以下にこの理由を述べる。日本のアニメは欧米諸国に人気だ。それは、アニメの舞台となった地域を見学するツアーがあるほど人気である。また、日本のアニメは独自の文化をもとにして作成しているもの多い。だから、日本文化を継承する日本語を学んでいることでわかるシーンがあるのだ。つまり、アニメ文化が海外に浸透すればするほど、日本語の利用者がふえるのだ。したがって、アニメを利用して日本語を後世に残して行くことができるのだ。

問2:印刷された書物と比較して電子テキストの長所を以下に述べる。まず、検索可能で情報が利用しやすいことだ。また、容易に情報を複製できることができる。さらに、誰でも簡単に電子テキストを編集、制作、出版できる。一方、電子テキストの短所について、以下に述べる。まず、1枚の紙と同じ薄さの電子テクストが存在しないことである。つまり、電子テキストを紙のように持ち運ぶことが出来ないのだ。また 電子テキストを長期保存することができる保証が無いことだ。さらに、発表可能なレベルまで校正を受けていない電子テキストがネットに公開されるので、誤った情報が公開される可能性が高まる。つまり、誤った情報を世間に広げる原因となっているのだ。

問3:電子的な図書館とは、従来よりも資料が多い図書館である。また、この図書館は利用者自身が資料をカテゴライズして利用するべきだ。まず、電子図書館の意味について詳しく述べる。その後、この利用方法について詳しく述べる。印刷された書籍の図書館では、学習や研究のために必要な資料を検索しやすい。なぜなら、検索できる資料が少ないからだ。つまり、従来の図書館は、置いてあるものが制限されているのだ。一方で、A1にあるように、電子的な図書館に入るのは本に限らない。例えば、写真や映画など幅広いメディアを通じて情報を得ることが可能である。また、これらの資料はデータ化されているため場所を取ることはない。ゆえに、電子的な図書館で閲覧できる資料は従来の図書館よりも多い。それゆえ、大量のデータを検索しなければならない。すなわち、学生が学習や研究のために、必要な資料を手に入れることがいっそう難しくなるのだ。
 この問題を解決するために、検索機能にタグ付けを採用する。タグ付けとは、自分の価値観でデータにキーワードを設定することだ。その結果、データを検索しやすくなるのだ。例えば、esという映画がある。この映画はスタンフォード監獄実験という心理学の実験を描いたノンフィクション映画である。さて、学生が図書館でスタフォード監獄事件を研究するためにこの映画を図書館で探そうとする。まず、彼はスタンフォード監獄事件と心理学をキーワードに設定して検索する。だが、従来の検索システムではこの映画を見るける可能性は低いだろう。しかし、タグ検索でこれらのキーワードを調べる。すると、以前に誰かがタグ付けしていれば、この映画を見つけることができるのだ。
 したがって、電子的な図書館は利用者が大量のデータを自分たちでカテゴライズして使用して行くべきである。

1にも2にも設問分析です。

「問いかけ」を3つ。
・問1の後半のアニメの話は、設問の中のどの内容に対する答えですか?。
・問3の設問中の「電子図書館の意味」について、問3の中で述べているはずですが、ひと言でいうとそれは何ですか。
・問3の回答について、既にインターネットが相当に普及している出題当時、及び、現代において「電子図書館」においてタグ付けをする意味は?私なら、「スタンフォード監獄事件」についての「映画」を調べたければぐぐります。タグなんかみません。

一応…てきとーに詳解

問1;将来、電子的な図書館が出来てから、長期的に考えると、日本語の利用者は減少する可能性が高いだろう。ここはいいと思います。この理由について以下に述べる。まぁありです。字数稼ぎ感は否めませんが。a3で述べられている通り、大学では専門用語に英語を使用する傾向が強い。つまり、徐々に学問以外まで英語が使われる可能性が高くなるのだ。つまってません。「つまり」とは「前の文章の言い換え」です。ここで、「つまり」を使うと、「大学では専門用語に英語を使用する傾向が強い。」=「徐々に学問以外まで英語が使われる可能性が高くなる。」になります。このことに関して、A3では、学問の世界とそうではない世界の境界線はあいまいだと言及されている。この命題を入れないと「学問以外まで使われる」は主張できません。つまり、学問の世界で英語が使われているので、学問以外の世界でも英語が使われるのは予測できるのだ。ゆえに、日本語は日常的に使われる言語の役目を失うだろう。ちなみに、ここまでに記載している内容は、「A-3に書いているから、日本語は日常的に使われる言葉の役目を失うでしょう」ということだけです。その結果として、日本語は国語ではなく文化的教養言語のうちの1つとなるだろう。 意味不明。「文化的教養言語」って何ですか?この問題を解決するために、勝手に問題解決はじめられても困るんですけれども…。アニメを利用して日本語を外国に広める。以下にこの理由を述べる。日本のアニメは欧米諸国に人気だ。それは、アニメの舞台となった地域を見学するツアーがあるほど人気である。不勉強で申し訳ないんですが、海外からのアニメツアーって、秋葉原のメイド喫茶とか、いわゆるアニメグッズの買い物が中心なんですか?それとも、「鷲宮神社」とか「ぼんぼり祭り」に行ったりするんですか?アニメの舞台見学ツアーって、要は昔だと「らきすた」をみて「鷲宮神社」に人が集まったり、最近(?)だと「花咲くいろは」とか「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」を見て、「お祭り」や「秩父市」に人が集まることを指していますよね?後者に「海外から人が集まる。」というニュースを見た覚えがないんですが…。勉強不足??例えば、また、日本のアニメは独自の文化をもとにして作成しているもの多い。だから、日本文化を継承する日本語を学んでいることでわかるシーンがあるのだ。つまり、アニメ文化が海外に浸透すればするほど、日本語の利用者がふえるのだ。したがって、アニメを利用して日本語を後世に残して行くことができるのだ。 残す意味が不明。あと、A-3を認める場合、アニメが世界で普遍的な地位を占めれば、その<普遍語>でアニメが作られるだけです。

問2:印刷された書物と比較して電子テキストの長所を以下に述べる。まず、検索可能で情報が利用しやすいことだ。また、容易に情報を複製できることができる。さらに、誰でも簡単に電子テキストを編集、制作、出版できる。一方、電子テキストの短所について、以下に述べる。まず、1枚の紙と同じ薄さの電子テクストが存在しないことである。つまり、電子テキストを紙のように持ち運ぶことが出来ないのだ。また 電子テキストを長期保存することができる保証が無いことだ。さらに、発表可能なレベルまで校正を受けていない電子テキストがネットに公開されるので、誤った情報が公開される可能性が高まる。つまり、誤った情報を世間に広げる原因となっているのだ。

問2はこんなものですよね。「電子テキスト」と「印刷された書物」について、「電子テキスト」は「ネット公開」が前提になっているものではない、ということに注意。スタンドアローンの自分の端末の中のメモ帳に書かれた内容だって「電子テキスト」です。実際は不可分ですけれどもね。紙媒体と電子テキスト媒体の流通経路について考える場合は、「ネット」と「電子テキスト」を一旦切り離して議論をすることも必要。

問3:電子的な図書館とは、従来よりも資料が多い図書館である。こう主張するのであれば、問2で何らか触れたいところ。また、この図書館は利用者自身が資料をカテゴライズして利用するべきだ。「また、」〜「べき」のつながりが不明。「また、〜である。」です。この場合。まず、電子図書館の意味について詳しく述べる。その後、この利用方法について詳しく述べる。文量稼ぎ感は否めないもののまあ「あり」でしょう。印刷された書籍の図書館では、学習や研究のために必要な資料を検索しやすい。なぜなら、検索できる資料が少ないからだ。意味不明。なぜそれがしやすいの?つまり、従来の図書館は、置いてあるものが制限されているのだ。あんまり「つまって」ませんが、まだマシ。一方で、A1にあるように、電子的な図書館に入るのは本に限らない。例えば、写真や映画など幅広いメディアを通じて情報を得ることが可能である。電子図書館ってメディアなんですかね?コンテンツなんですか?ついでに言えば、家のパソコンからほとんど全ての画像が手に入る現代において、わざわざ写真を電子図書館に見に行く理由ってありますか?また、これらの資料はデータ化されているため場所を取ることはない。ゆえに、電子的な図書館で閲覧できる資料は従来の図書館よりも多い。それゆえ、大量のデータを検索しなければならない。すなわち、学生が学習や研究のために、必要な資料を手に入れることがいっそう難しくなるのだ。 あんまり「すなわって」ませんが…。
 この問題を解決するために、検索機能にタグ付けを採用する。タグ付けとは、自分の価値観でデータにキーワードを設定することだ。価値観って何ですか?その結果、データを検索しやすくなるのだ。「その結果」のつなぎ方が不明。例えば、esという映画がある。この映画はスタンフォード監獄実験という心理学の実験を描いたノンフィクション映画である。さて、学生が図書館でスタフォード監獄事件を研究するためにこの映画を図書館で探そうとする。まず、彼はスタンフォード監獄事件と心理学をキーワードに設定して検索する。だが、従来の検索システムではこの映画を見るける可能性は低いだろう。しかし、タグ検索でこれらのキーワードを調べる。すると、以前に誰かがタグ付けしていれば、この映画を見つけることができるのだ。 Googleでいいんじゃないか、と思ってしまいます。

さて、あなたは「大学に入学して学習・研究を進める立場に立った時に、電子図書館を「タグ付け」して利用するのが望ましい」という小論文を書いたことになりますが、それで本当にいいんですか?

この小論文は、どの程度の本気具合で書いたのか、お伺いしてみたいです…。自分の自信の度合いとか…。

総合政策学部 2011 ご質問へのご回答

ご質問をいただいたのでお答えさせていただきます。この添削に関するご質問です。

言葉の「過不足」について

さて、色々とご指摘はいただいたものの、文の書き直し方がわかりません。なぜかと申しますと、総評で「言葉が過不足」とおっしゃっていますが、今の文章から説明不足な言葉に説明をつけて分かりやすく書こうとすると字数が超えてしまうからです。ただし、私の要約力不足、言葉の表現の言い換え力の無さも要因である可能性があることは理解しております。
これのお答えは、自分で
では、どうやって文章を800字に収めた方がよろしいでしょうか。例えば、私は自分のよいと思う価値観について「相互に支え合い、自然と人間が共存できる世界を創ることをよいとする価値観があるからだ」と述べました。しかしここを「相互に支え合うことをよいとする価値観があるからだ」と、価値観についての記述を減らします。そうすると説明すべき言葉も減ります。したがって、文字数を節約でき、節約できた分を他の言葉の説明にまわせるとは思うのですが、これも一つの正解なのでしょうか。
と、記載いただいている通りです。

SFC小論文は、1,000字から1,500字で文量が多い、と言われています。否定はしませんし、実際にそうだとも思います。けれども、1,000字から1,500字というのは、主張を他人に伝えるにはあまりにも文量が少ないです。この文量で伝えられる主張は、せいぜい一つか二つです。それが限界です。それなのに、論点を増やしてしまったら、書くべきことが書けません。これが過不足の最も重要となる「過」です。1,500文字でたいしたことなんて書けません。ご自分でお書きいただいているように、論点を絞れば書くべきことを増やせます。

次に「過不足」の「不足」です。例えば、この部分ですね。
しかし、現在の日本は福祉、イノベーションの推進に対応できていない。なぜなら、福祉においては、給付、介護のサービスを求めている人に届いていないからである。例えば、ニッセイ基礎研究所のデータからであれば一時間あたりに約3人が孤独死していることになる。
と書いてある部分ですが、これって結局何が言いたいんですか?まさか「1時間に3人が孤独死している」という事実と、「福祉に対応できていない=給付、介護のサービスを求めている人に届いていない」という問題意識をつなぐ説明を全く入れないで相手に伝わると思っているのであれば、正直に申し上げて大間違いです。これが成り立つのは「孤独死=福祉の不足」の関係が成立している場合のみです。この関係を読み手の多くが共有していなければ、ここには説明の文章が必要となります。それが「論理的な文章」です。つまり、こういった説明がどこもかしこも抜けていることが過不足の「不足」です。

もう一つ、同じところで「過不足」の「過」を付け加えます。この「統計データ」は必要ですか?「福祉が多くの人に届いていない」ということは、例を挙げてまで、説明が必要なものでしょうか?「そう言われたら、確かにね。」と大半の人が思うでしょう。いやむしろ「わざわざ言うなよ」という人も多いはずです。そうであれば、その部分にわざわざ例は不要です。わざわざ例を挙げなくとも、読み手には伝わるからです。

高校3年生「うちの学校に付き合ってる人たちいるんだって。折木くんと千反田さんとか。

高校3年生にもなって、そんな馬鹿げた話しますか?高校にカップルなんているの普通だから、わざわざこんな情報必要ないでしょ?

高校3年生「文化研究部って7人なのにカップル多いよねー。八重樫くんと稲葉さんでしょ?青木くんと桐山さんでしょ?一つしたの宇和くんと円城寺さんもあやしいじゃん。

ぐらいであればその例は「多い」という心証を与えるために効果的でしょう。だからこの例は必要かもしれません。あるいは、

女子校にて「うちの学校ってカップルいるんだって。永瀬さんと藤島さん。」

であれば、この例は価値を持つでしょう。女子校のカップルは、共学のカップルよりも、稀であり例でもないと、信じにくいことだからです。女子校出身ではないので自信が持てませんが。読み手を想定して、その読み手にとって自分が伝えたいことが、すっと伝わりそうになければ、例を入れるべきです。逆に言えば、そうでないところに入っている「例」ははっきりいって「無駄」です。これも「過」です。もちろん、相対的なものですから、入れたければ入れてもかまいません。けれども、入れることで他に入れるべき重要なポイントを入れられなくなるなら、小論文ではそういった不要な箇所を削るべきです。

少し遊び過ぎたので、もう少し真面目なあたりから話をしてみると、
言語は経験のすべてを表現するにはつねに「不足」であること。そしてそれと同じぐらい、言語は経験に対してつねに「過剰」であること。(上野千鶴子)
これは忘れてはいけません。
なぜなら、それをよいとする私の価値観に、相互に支え合い、自然と人間が共存できる世界を創ることをよいとする価値観があるからだ。
という文章は、ほとんど何も表現していないと言っていいでしょう。「相互に支え合うことや、自然との共存が可能な世界を作ることが大事?」何それ?どういうこと?全然説明が足りていないじゃん、何が言いたいの?というレベルです。けれども、それと同時に「相互に支え合い」「自然」「人間」「共存できる世界」等々という言葉は、あなたが伝えたいことよりも、もっと大きな世界を読み手に伝えてしまいます。

だからこそ、少しでも誤解を減らすために、文脈を自分で規定し、相手に伝わりやすい文章を作らなければなりません。

では、それをどうやって身につけるのか?

とはいうものの、それをどうやって身につけるのか、というと一つは「国語力」です。現代文の練習を必死でやってください。そうすれば、筆者が何を言いたいのかがだんだんわかってきます。そして、筆者が言いたい事に読み手に説明するのにどれだけの文量を費やしているのかもわかるようになると思います。そうなれば、1,000字なんて怖くなくなります。むしろ、「言いたい事が書けない」と嘆くぐらいでしょう。

もう一つは「自分の言いたい事を決めること」です。小論文なので、ついかっこよく書いて、よりよく見せたくなります。だからつい余分なことを書きがちになります。本来は必要がないものが、です(ええ、全然関係のない小説の小ネタとかが…。)。前述のように、「自分が言いたいことを伝えるためには、正確さよりも余分なものを削る」ことが重要です。けれども、そのためには「余分」を決めるのに、「自分の言いたい事」を明確にする必要があります。

佐藤さん、あなたのことが好きです。2組の高橋さんに負けないくらい綺麗な黒髪がとても素敵です。

こんなラブレターをもらったら、私ならまず間違いなく、イヤです。イヤ過ぎます。たとえ、2組の高橋さんがどれだけきれいな黒髪であろうとも。どれだけ可愛かろうとも。(むしろ、可愛ければ可愛いほど、悲しい気持ちになるでしょう。)

けれども、もちろん皆さんは普通はこんなラブレターを書かないでしょう。どれだけその自分の表現が、状況を的確に説明していようとも。それは、「あなたのことが好きです」ということが一番伝えたいことであって、それを伝えるときに、「身近な異性の名前を出すと、相手に自分の気持ちを誤解される可能性がある」ということをあなたが知っているからです。小論文も同様です。「結局、何が伝えたいのか」ということを、本当に明確に決めておかない、と余分なものでどんどん飾ってしまいます。ラブレターはいいんです。単純だから。出す相手が誰であろうとも「好きです」と「付き合って下さい」の2つのメッセージ(通常は両方。たまに前者のみ。)さえ、全力で伝えればいいですから。ところが小論文は、「合格する力があります」と伝えるために、出題者の意図に合わせて言いたい事を伝えなければなりません。この力を磨かないから余分なものがふえるんです。
そこで私は、地域分権化を行い、コミュニティをつくり、多様性を保ち、個人最適化をはかる。
どれが大事なんですか?これは。こんな文章は、
みかげのことが好きです。栗ちゃんも、典ちゃんも、ちかちゃんも好きです。
というラブレターをみかげに出すようなものです。ほんとうに節操がありません。ほんとうに。ええ。まず、一番大事なことを決めましょう。そして、それについて説明しましょう。

私が社会の基礎として最も重要なのは、相互の支え合いだと考えているからだ。(中略)。そこで私はもっと多様なコミュニティを芽生えさせ、国民同士がお互いにより多くの交流を図り助け合う日本を作りたい。朝は、集団登校の小学生が、昼は郵便配達の方が、夕方には近所の主婦が、独居老人を支えるような日本だ。そして、老人も、子どもと一緒に遊び、時には教え、厳しく叱り、お互いに豊かに暮らしていける日本にしたい。

これは小論文としては多少感傷的に仕上げてみましたが、このような書き方をすれば、文章に一貫性が生まれて、本当に伝えたいことが伝わります。というよりも、そうしないと本当に重要なことが伝わりません。
あなたのことが好きです。私は成績もいいし、あなたに勉強を教えてあげられるよ。料理も得意だし今度お弁当作ってあげるね。それに、スポーツも大好き。毎日ジョギングしてるんだ。だから、スタイルだっていいでしょ?
みたいなラブレターをもらったって、相手のことはあまりわからないでしょう?むしろ、「うざい」という情報しか伝わらないですよね?

まず言いたい事を一つに絞りましょう。
次に、「データサイエンス」については、文字数が足りないのであればそもそも文章に書かない方がよいのでしょうか。むしろそちらの方がSFCの小論文にとっては高評価につながる可能性が高いのでしょうか。
私ならば、よほどよい構想が思いつかなければ書きません。文量もとりますしね。なぜかと言えば、「データサイエンス」と書いたら、当然それは「私の総合政策学にとってのデータサイエンス」になり、定義をする必要があります。「定義」をするのに、自分に思い入れがあればあるほど、読み手に伝えたいことがあればあるほど、きちんと例を挙げたりしなければいけません。それが大変なので、うまく文章に組み込むネタがない限りは書きません。

ただし、一般的なことを尋ねられているわけではなく、「君の」を尋ねられているので、自分が興味のあることを書いた方が、字義的な説明をするよりは、点数が高いと思います。これも「いいたいこと」次第です。例えば、「私は、総合政策的アプローチでは「問題」を設定するところが一番大変だと考えている。あまりにも多くの関係者について考慮しなければならないからだ。」ということを主題にして、「ここをうまく解きほぐすためにITテクノロジーを用いる事が私の「総合政策的アプローチ」だ。」というロジックで書けば、十分問2の答案として通用すると思います。
データサイエンスについても、下書きではもう少しごちゃごちゃと書いていたのですが、文字数を超えてしまったのでとりあえず削って「情報学」を勉強したいだけの人の文章にしてしまいました。(本番では、当然ながらコンピューターなどは使えませんので下書きは通用しないことはわかっていますが、まずは本気で書いてみたものを添削してもらえる方が勉強になるかと思ったので下書きをしました。
ちなみに私も下書きしますよ。下書きというか構想ですけれどもね。この記事であれば、


 ○「過不足」について
   ・「過」…日生基礎研のつまんない引用については絶対に書く
   ・「不足」…不足の部分も例と主張の間の「論理付け」の不足を指摘する。
      (上野さんの引用入れよう。)
 ○それをどう身につけるか。
   ・国語力についてはさらっと。
   ・「言いたい事を決める」についてはねちっこく。ネタは考えるの面倒だからラブレターネタでいいや。

ぐらいの構想です。ブログは遊びなので、頭の中でさらっとこれぐらい考えて終わりです。メモもとりません。

実際の小論文では、これぐらいの構想なら余白に書けます。そして、○部分で400文字使えば800文字の文章になるなぁ。「・」の部分は各200文字で調整しようかな、なんて考えながら文章の量を調整していきます。この文章量の調整ができるのは、自分が言いたい事を主張するのに何文字ぐらい使うのかをある程度わかっているから、なんですけれどもね。

「下書き」というか、構想時点で構想が練れていないので、文章がごちゃごちゃしてしまうんだと思います。「言いたい事」をできるだけ少なめに…。

感想というかアドバイスを…

もし、本当にこの文章を「本気で書いた」のであれば、まず先にやるべきことは、「論理力」の習得です。たぶん出口さんより、板野さんの参考書を愚直にやった方がいいと思います。「何を言いたいがために、どのような書き方をしているのか」をひたすら意識してみてください。それと同時に1日200文字〜400文字の短文を書いてみてください。決して難しい言葉に頼ることなく、前の文章と次の文章の関係性を意識しながら文章を書いてみてくださ。

ご質問の内容やその後の文章を見てわかったのですが、あなたの小論文に系統だったコメントがつけられないのは、中身が混乱していて、何が言いたいのかがさっぱりわからないからです。当たり前です。本人が本当に「言いたい事」もきめないまま、頭の中で考えたそれっぽいことを並べてるだけでしょうから。本人がそれなりに語れそうなことについて尋ねてみましたが、それについてはそれなりにわかりやすく書けていたと思います。それはおそらくは「言いたい事」だからでしょう。

とすれば小論文用の「言いたい事」を伝える訓練をすれば、その力は身に付くはずです。甚だ簡単ながら。

総合政策学部・2003年 その2

この記事の続きです。

たぶん、問いかけにお答えを頂いた方がダイレクトに色々やりとりできてわかりやすい、と思っています。それぞれ各人レベル差もありますし…。
正直なところ、冒頭の記載内容チェックの部分ですでに苦しいのですが頑張って問いかけに応えてみます。
当ブログコメント欄より抜粋
当該部分は「相当苦しい」と思って書いています。これが逆に「できてます。これです。」と言われると、その誤解を正すのに苦労します…(笑)。

但し、これが出来ていないと、自分で構成を作ることができません。他の年度の問題でも練習してみてください。

>>「形を持つ」ってなんですか?
今見るとかなり不自然な表現でした。「形を成す」にすれば良かったでしょうか。
>>「なかでも」が読み取りづらいのでは?
「悪い部分のなかでも」の方が良かったでしょうか。
>>「大きい」とは何が大きいのですか?
自分でまったく意識せず書いていました。「悪影響は問題だ」と書けばよかったでしょうか。
>>この「もちろん」は何を受けての、「もちろん」ですか?
自分の頭の中で「近代日本の経済的、技術的発展が環境問題の原因となった。だから近代日本の経済的、技術的発展は悪いことだ。」という勝手な前提が出来てしまっていたのでこういった変な接続の仕方になってしまいました。
「日本の良い部分は、近代の経済的、技術的発展で成長を遂げたところだ。」と書いた方がよかったでしょうか。
こういった表現部分も、自分で「一旦立ち止まって考えられる癖」をつけた方がいいと思います。自己採点の時に。ちなみに、細かめに書いていますので、本番時にこういう表現があったから「ダメ」というわけではありません。但し、往々にしてこういった表現の粗は、単純ミスというよりは思考の甘さに起因する事の方が多いです。
自分はこの「世代間倫理という考え方から」の部分で価値観の選択をしたつもりでしたが、その後の論の展開の中でこの価値観を積極的に使っていくという考えはありませんでした。
それどころか、「世代間倫理」の考え方が「種種の環境問題の影響を考えた結果として必然的に導かれるもの」というイメージを勝手に持っていたせいか、一度記述すればそれで良いだろうという気分ですらあったかもしれません。
やはり総合政策的アプローチ、というよりもそれ以前に、論の一貫性という点から考えても、その価値観を何度も記述していくという姿勢は重要なのでしょうか。
「論理の一貫性」という観点から、少なくとも議論の土台部分について頻繁に変えるべきではないでしょう。今回のようなそれを匂わせる表現もよくない、と思っています。Twitterでもつぶやいたんですが、「私のどこが好き?」と尋ねられたとき、あるいは、尋ねたときに、「一番は笑顔かな。あと、かわいいところ。元気なところ。もう少しつけくわえると、笑顔も好きかな」と言われると、「笑顔」の部分がうそくさく感じますよね(こういう表現を好きな人もいますけどね)。一貫性は保ったほうがいいです。ついでにいうと、一つの小論文で言えることはだいたいほぼ一つです。それ以上は書けません。3つになると非常にしんどいです。

あと「世代間倫理」という観点が、考察の上の単なる必然であればそういった用語は出来ていないと思いますよ。「人間の影響力」が「世代を超える」と自覚し始めた頃に芽生えた概念なんでしょうね。
>>公害は「社会環境」にダメージを与えるのでは?
少なくともこれと「自然」環境を「破壊」することは区別すべきでは?
考えがそこまで及んでいませんでした。言われてみればその通りだと思いました。「社会環境を軽視した経営による公害」とするとたしかに意味の通りが良くなる気がします。
環境問題に限らず、「問題」は「人」がいないと発生しません。それを無視した議論は結構多いです。311の津波も人と人工物がなければ「問題」ではなかったはずです。「現象」ではありますが。
>>この設問の テーマを覚えていますか?「日本がいかなる国 か?」というテーマを書いてくれ、という出題なの に、「全世界から知恵を集める」という全く違う テーマで書いた、という敗北宣言に見えませんか? 書くにしても、「日本」というテーマが見えない書 き方はまずいのでは?

本当にその通りだと思います。環境問題の解決に意識が向いていて、この問題のテーマという方向には全く考えていませんでした。というよりも最初から問題のテーマに対する意識が薄かったと思います。
実は、この小論文を書こうとした時、何も思いつかず、資料文を読んでも手がかりがつかめなかったので、直前に書いた他の学部の小論文の内容をアレンジして(今読むとかなり無理がありアレンジできていませんが……)書いてしまいました。

そこで質問があるのですが、こういう他の小論文をアレンジして書くという方向性そのものが間違いだったのでしょうか。それとも、もう少し「日本について書く」ということを意識して表現するようにこころがけて書けば、このやり方でも小論文としてなんとか評価されるレベルになるのでしょうか(結局資料文を読めていないと本道からはズレることになってしまいますが……)。
もしよかったら助言をお願いします。
大事なので強調しておきます。

・他の小論文をアレンジするという方法論は当然あり。できれば積極的に使ってもよいぐらい。
・ただし、「小論文の設問に従うことは絶対。」これが出来ないのであれば、他の小論文を使ってはならない。

本番で、改心のアイデアが浮かぶことは稀です。だから、既存の自分のアイデアの中にいいものがあるのであれば、それを使うべきです。ただし、設問分析はしっかりしてその小論文で使えるかどうかを考えるべきです。

例えば、私があなたの「排出権取引の個人への導入」というアイデアをこの小論文で書くのであれば、「もったいない精神」を中心におきます。日本の「もったいない精神」は、ワンガリ・マータイ(2004年 ノーベル平和賞)で注目されました。これぐらいは、頭の片隅に残っててもよいと思うので、受験生でも使えるレベルの知識でしょう。「もったいない」という言葉に対する日本の逸話はいくらでもひくことができると思います。「米」にまつわる話でもよいですし、「江戸時代」のリサイクルの話でもかまいません。「もったいない」に関わるよい話・わるい話を挙げるのは比較的簡単です。あるいは近年これを忘れている、でもかまいません。但し、この出題では、自分に関するストーリーは、設問から外れる可能性があるので書かない方が無難です(「おばあちゃんにごはんを残して怒られた。」等)。そして、近年この精神を忘れてきている、みたいな話を書いて、「でも、東日本大震災では計画停電が実施できたよね。」と逸話をひっぱってきます。なぜなら、「どこまで使ったら「もったいない」=「無駄」か、がわかったから」とでも書いて、「排出権取引の個人への導入」を書きます。「排出権取引」に関する議論は後述。国は、インドのままでもいいですし、変えてもいいでしょう。インドと電気の話を書いて東日本大震災の話に触れるのであれば、原子力発電所については触れたほうがいいでしょうね。議論の一貫性が増します。「インドが原子力発電所を推進している」という知識は、そこまで特別な知識だとは思わないので、知ってても悪くはないと思います。

このアイデアを活かすなら個人的にはこんな書き方をします。これは答えではなく思いついた人の知識によるので自分で何か思いついてそれでうまく書ければそれが答えです。

問1の詳解

 現在の日本が日本として形を持つようになるまでには歴史の長い道のりがあり、当然良い部分もあれば悪い部分もあった。なかでも環境に対して及ぶ悪影響は大きい。世代間倫理という考え方から、環境問題は放置することのできない、解決すべき問題である。これについて、インド人の方に説明したい。
この部分は、正直…2行で済むはずです。ポイントは、「(日本の)環境問題について書きます。」「世代間倫理の観点を重視します。」「インド人に説明します。」の3点です。「形を持つ」「形を成す」の言葉の選び方の議論の前に、「良い部分も悪い部分もあるよ」ということを書くこと自体を議論すべき。別にあってもわるいわけではないですが、どっちでもよいならば、小論文では書かない方がよいでしょう。SFC小論文では、文字数埋めをしてもしかたがないので。論理としては、「日本っていろいろあったよね」→「なかでも環境問題の影響が大きいよね」→「これって世代間倫理の観点からとても大事だと思っています」→「インド人に説明します」で、そこそこありです。「環境問題の影響が大きい」ということを書くのであれば、若干説明がほしいです。「なぜ大きい」かがわからないから。ここは素直に「私は環境問題について書きたいから」と書いても減点にならないでしょう。
 もちろん、近代日本の経済的、技術的発展は現代の日本人の生活に多くの恵みをもたらしている。交通技術の発達、電化製品の登場などにより日本人の生活はより早く、より快適になった。増えた余暇を利用するための新しい娯楽も登場した。また、医療技術の発展は人々をより健康に、より長生きにした。いまもバイオテクノロジーや、情報技術の進歩がさらなる快適さ、効率性、豊かさを求めて、急速に成長している最中である。
ロジックで言えばここまでが「よい部分」。日本の固有性に弱いところが気になります。史実としては史実なんでしょうが。
しかし、こうした発展の裏には、それを支えたエネルギー、資源の収奪、排出、そしてそれにともなう自然環境の破壊があったことも忘れてはならないだろう。
ここでの改行は不要でしょう。この手前までが「よい部分」ここから先は「悪い部分」と段落分けをした方がしっくりきます。
 日本は高度経済成長の過程で、自然環境を軽視した企業経営による公害を経験しているが、しかしいまだに日本では原発問題や二酸化炭素排出量の問題など、環境に対する問題は山積している。なかでも地球温暖化という地球規模での問題と直結する二酸化炭素排出の問題は重大だ。空気中の二酸化炭素濃度の上昇は世界全体での気温上昇をまねき、さらにそれは異常気象、海水面の上昇、生態系の変化といった種種の問題につながる。世代間倫理という観点から見ても、けっして放置できない問題である。
問題が「グローバル」に広がったことはさておいて、世代間倫理を強調するならばここでしょう。ここで「異常気象」「海水面の上昇」「生態系の変化」は、短期的にも問題だが、長期的にはさらに影響が大きい、ことを強調した上で、「世代間倫理」の議論を導入するべきです。「世代間倫理」という言葉を使わなくても、「当代の利便性と後代の問題のトレードオフ」について議論をすれば十分です。

論理の流れを書くのであれば、こうするべきです。「二酸化炭素排出量の問題は深刻です。なぜならば、二酸化炭素排出量は、異常気象・海水面の上昇・生態系の変化といった問題を引き起こすからです。これらの問題は、現在の人類の利便性のために環境に(悪)影響を与えることで、我々の子孫に対してより深刻な問題を残します。」ぐらいですね。こうすることで、冒頭の「世代間倫理」を重視します。という議論につながります。
 日本人の多くは東日本大震災の際、多くの節電が求められ、多くの市民と企業の協力により電力不足の危機を乗り越えたという経験を覚えているだろう。我々が普段使う電力の中には実は無駄なものも多くある。ここに、環境問題解決への行動のヒントがある。例えば、京都議定書体制で活躍した「排出権取引」というシステムを個人間に導入する。つまり各家庭に排出量の基準値が設定され、それを超過した家庭は超過していない家庭から排出権を買わなければいけないというシステムだ。このようにすれば各家庭は自主的に節電をするようになる。
ここがおもしろくも、わかりづらいところです。

アイデアとしては、目をひくかもしれません。けれども、これは「従量制課金と何が違うの?」という疑問に答えられますか?要するに「使えば使うほどお金がかかる」ということと何が違うの?ということです。ここに経済心理学みたいな議論を持ち込めば同じ金額を支払うにしても、「従量制課金制度」と「基準値までの金額を先払。基準値未満の場合、お金の戻しがある。基準値を超えた場合は追加支払する課金制度」は違う、ということを導入できますが。単に「排出権取引」の話を出すだけでうまくいくよという議論はちょっと弱いでしょう。「排出権取引」自体、例えば「弱者」から「強者」が金銭をつかって経済発展に必要なエネルギーを奪い取る仕組み、と見る事もできますしね。

ここに「もったいない精神」を導入して、「排出権取引を導入することによって、使用量を意識するようになったことで、使用量を制限する行動を促す」と書くぐらいしないと、「なぜ排出権の個人間取引が有効か」ということがわかりません。「排出権取引」だけであれば、例えば「携帯代や食費を抑えて、電気代にまわす」という行動をとり得ますよね。そうすると問題が解決できません。そこに上述の「もったいない精神」を持ち込めばうまく歯車がまわりそうです。あるいは、日本の「恥」文化を導入して、「排出権取引」の結果、誰が無駄遣いをしているかが見えてしまい、「恥ずかしい」ので、みんな電気代の使用を抑えるようにする、と書くのもありだと思います。

問2の詳解はなしで…

ここまで書けば、問2の部分はいらないと思いますが…。というより「問2について論じることは難しい」が本音です 笑。問1の「世代間倫理」との関係は最低限書くべきです。

総評

ご投稿いただいた方は、とりあえず「設問分析」と「それに合った小論文を書く事」が重要となります。SFCが第一志望なのか、他学部が第一志望なのかはわかりませんが、どの学部でも最低限「設問に書いてある指示に従うこと」は最低限です。ここを意識しましょう。

これを意識するための訓練は簡単です。

まず設問の指示を要約します。私がやったような箇条書きが望ましいでしょう。この要約自体が合っているか間違っているかはとりあえず問題にしません。それは国語力の問題ですから。そして、自分の書いた小論文と自分の書いた箇条書きの内容がどうつながっているかを逐一チェックします。そして、全ての箇条書きのポイントに対して、自分の小論文の中身がきちんと対応していれば、書くべきことが書かれている状態です。そうでなければ、「自分が思った分賞すら書けていない」ということです。これは相当ダメな状態ですので、そこから治していくべきでしょう。

他の部分は…といったところです。もし、ご質問があれば、適宜コメント欄に書いてみて下さい。

総合政策学部・2011年

ご投稿いただいたので、ちゃんと教育して叱ってみようと思います。伝わらない雑談は、さておいて、まずは全文です。
設問1
 私がよいと考える日本は国民の福祉を充実させながら、持続可能な技術のイノベーションを推進する日本である。なぜなら、それをよいとする私の価値観に、相互に支え合い、自然と人間が共存できる世界を創ることをよいとする価値観があるからだ。

 しかし、現在の日本は福祉、イノベーションの推進に対応できていない。なぜなら、福祉においては、給付、介護のサービスを求めている人に届いていないからである。例えば、ニッセイ基礎研究所のデータからであれば一時間あたりに約3人が孤独死していることになる。イノベーションにおいても、緻密、丁寧な日本技術があるが、世界向けに発信できない「ガラパゴス化」が見られる。なぜなら、「ガラパゴス化」の要因に、中央集権よりの政治、多様化などが絡んでいるからである。特に、日本の中央集権は「ガラパゴス化」に加え、福祉に対応できていない要因にもなっている。なぜなら、中央集権による対策は一律的すぎるため、個人に最適化されていないためである。

 そこで私は、地域分権化を行い、コミュニティをつくり、多様性を保ち、個人最適化をはかる。その一方でイノベーションを主眼に置いた規制緩和を行う。さらに、ベンチャー企業、研究所への資金支援を提案したい。
 現在の政界では、明治維新以降の約140年間続いた中央集権の急な変更は困難である。まずは、国民一人一人が能動的に政治に参加して、思いきった改革をできるように政界を変えていく必要がある。しかし、現在の国民は受身であり、マスメディアからの情報にも影響を受けやすい。したがって、受身脱却が必要である。

 そのために私は能動的な市民になる。つまり、自分から国を変えていく人になる。具体的に、私の研究したいデータサイエンスを用いて、例えば、検索エンジンに表示されるサイトの情報信頼度を大量のデータから良質なサイトの傾向データを抽出してそれを基に測定できるものを創りたい。


設問2
 私が行った「総合政策学的アプローチ」は、1、問題設定、2、要因分析、3、解決提案である。

 1、において、価値観を基に問題を設定するようにした。なぜなら、価値観がなければ善と悪の区別ができないためである。したがって、悪である問題を発見できなくなる。

 2、では、1の次にどの程度の多様な問題が絡まっているのかを発見しなければ現状を把握して、次の解決への提案を考えることができなくなるために、2に要因分析を持ってきた。設問1では、一要因として「ガラパゴス化」、孤独死の例をあげた。さらに「ガラパゴス化」の要因として多様化、中央集権よりの政治が絡んでいることの例もあげた。すなわち、私のよいとする日本の前にある悪い現状を構造化した。

 3、では、2で要因を確認できたので、解決策を提案した。設問1では、「地域主義」とイノベーションを主眼に置いた規制緩和を提案した。しかし、実行可能性を検討すると、国民が能動的にならなければならないほどに困難であった。したがって、能動的にならなければ私のよいとする日本を実現できない。すなわち国民一人一人が能動的であることが私のよい日本の必要条件である。したがって、私にできることとして、必要条件を満たせる内容を示した。すなわち、私の関心テーマであるデータサイエンスから対策の具体例を示した。以上が私の「総合政策学的アプローチ」である。
何度か解説したので今回は「設問分析」はなしにします。

総評

全体的に「つながってるんだけどバラバラな感じ」が拭えません。論理性に問題があるといえばそうなのですが、つながりというよりは「言葉の過不足」が問題です。わかりにくくいうと「ご飯粒」でつなげた感じの文章です。お腹いっぱい感といいますか…。

設問1


 私がよいと考える日本は国民の福祉を充実させながら、解釈に困る部分です。「国民の福祉」は「公共の福祉」をイメージしていますか?もし、憲法概念を引いてくるのであれば、ワーディングは正確にすべきです。後半の事例から見ると「高齢者福祉」についてテーマにしようとしているように見えますが…持続可能な技術のイノベーションを推進する日本である。「持続可能」ってどういう意味ですか?後述しますが。なぜなら、それをよいとする私の価値観に、相互に支え合い、ここまではとりあえずOK。自然と人間が共存できる世界を創ることをよいとする価値観があるからだ。この言葉はこの文章以降のどこの言葉とつながりますか?
しかし、現在の日本は福祉、イノベーションの推進に対応できていない。これは「現状」ですよね。なぜなら、福祉においては、給付、介護のサービスを求めている人に届いていないからである。ここで「なぜなら」はおかしいと思います。これは「福祉の推進に対応できていない」という言葉の言い換えに過ぎません。この文章中の「福祉」とは何か、ということをもう一度よく考えてみて下さい。そうすれば、「なぜなら」なのか「つまり」なのかが確定します。例えば、ニッセイ基礎研究所のデータからであれば一時間あたりに約3人が孤独死していることになる。「孤独死の事例」と「福祉の推進」はわかるようでわからない理論展開です。前の「なぜなら」よりはわかりやすいですが。イノベーションにおいても、緻密、丁寧な日本技術があるが、世界向けに発信できない「ガラパゴス化」が見られる。いったい何がいいたいのかがよくわからない部分。パターンが多すぎて混乱しますが、この時点で読み取れるのは3パターンです。まず前述の「持続可能な技術のイノベーションを推進」という言葉が、価値観としてあげている部分の「自然と人間が共存できる」と対応して、いわゆる「環境」に配慮した「イノベーション」を指すパターン。次に、字面そのものから読んで、「技術のイノベーション」を紡いでいくという意味での「持続可能」な「イノベーション」を指すパターン。イノベーションのリレーが止まらない、という意味。そして、この文章から想定される「何らかグローバルと関係するイノベーション」のパターン。定義があいまいすぎてこれ以上のことはかけませんが。ちなみに「ガラパゴス化」という言葉の意味もわかりません。なぜなら、「ガラパゴス化」の要因に、中央集権よりの政治、多様化などが絡んでいるからである。ここの「なぜなら」は、文脈的にはOKです。「中央集権よりの政治」と「多様化」の関係が不明です。特に、日本の中央集権は「ガラパゴス化」に加え、福祉に対応できていない要因にもなっている。なぜなら、中央集権による対策は一律的すぎるため、個人に最適化されていないためである。 この「なぜなら」以降の言葉も意味がわかりません。特に後半部分のちぐはぐ感はこんな感じです。まず「理想」がある、とします。つまり、全ての「個人に合わせた世界」ができあがります。これが「個人に最適化」の状態、これと「中央集権による対策は一律的すぎる」という最適化というよりは「中庸」的な表現。これのよりよい状態は「中央集権による対策の一律さが緩和される」ですから。この合わさり方が、違和感の正体だと思います。 そこで私は、地域分権化を行い、コミュニティをつくり、多様性を保ち、個人最適化をはかる。「行い」「つくり」「たもち」「はかる」の主語が「私」に見えます。その一方でイノベーションを主眼に置いた規制緩和を行う。さらに、ベンチャー企業、研究所への資金支援を提案したい。イノベーションの「ガラパゴス化」は「中央集権」と「多様化」が原因。中央集権は前文で対策を打ちました。逆に「多様化」は前文で「保つ」という記載されているので、対策はゼロですか?あとは「規制緩和」と「資金支援」がどう「ガラパゴス化」に関係するのか、の関係が不明です。現在の政界では、明治維新以降の約140年間続いた中央集権の急な変更は困難である。とりあえずはこれはいいとします。まずは、国民一人一人が能動的に政治に参加して、思いきった改革をできるように政界を変えていく必要がある。「国民一人一人の能動的参加」と思い切った「改革の関係が不明」ついでに言えば、「地域分権化を行い、コミュニティをつくり、多様性を保ち、個人最適化」することと「国民の能動化」の関係も不明。しかし、現在の国民は受身であり、マスメディアからの情報にも影響を受けやすい。したがって、受身脱却が必要である。 「受身」の定義が若干不明ですが…。あまり気にならないレベルではあります。「マスメディア」が「正しい情報を流していない」という隠れた前提を勝手に使っていませんか?
そのために私は能動的な市民になる。つまり、自分から国を変えていく人になる。少しセンセーショナルな表現ですが…。ここでこの定義にした場合、「能動的」=「自分から国を変えていく」と定義し、その逆の「受動的(この文章では「受身」でしょうね。)=「自分から国を変えていかない」となります。具体的に、私の研究したいデータサイエンスを用いて、例えば、検索エンジンに表示されるサイトの情報信頼度を大量のデータから良質なサイトの傾向データを抽出してそれを基に測定できるものを創りたい。 このあなたの研究内容と、「受身脱却」の関係は?「受身脱却」とは「自分から国を変えていく人になること」ですよね。前の文章では、「しかし、現在の国民は受身であり、マスメディアからの情報にも影響を受けやすい。」と書いてあるので「受身」と「マスメディアからの影響を受けやすい」は並列ですよね。多少両者に関係があるとはいえ。そうすると、データサイエンスで出来る事は後者の「マスメディアからの影響」に対する対策でしょうから、結局「受身」の本質的な解決にはなりません。

「受身」「ガラパゴス化」「イノベーション」「マスメディア」「多様化」「個人最適化」「コミュニティ」「中央集権」「地域分権」「相互に支え合う」「自然と人間の共存」の関係がわからなすぎて…なんというか大事そうな言葉をただ続けてそれっぽく書いた。あとは、自分の研究テーマっぽいことを書いとけばいいや、という答案にしか…見えません…。

設問2

この設問は解説しづらいですね…(笑)私が行った「総合政策学的アプローチ」は、1、問題設定、2、要因分析、3、解決提案である。 いいと思います。1、において、価値観を基に問題を設定するようにした。なぜなら、価値観がなければ善と悪の区別ができないためである。したがって、悪である問題を発見できなくなる。 悪というよりは、「解決すべき状態」といった定義のほうがいいとは思いますが。2、では、1の次にどの程度の多様な問題が絡まっているのかを発見しなければ現状を把握して、次の解決への提案を考えることができなくなるために、2に要因分析を持ってきた。設問1では、一要因として「ガラパゴス化」、孤独死の例をあげた。さらに「ガラパゴス化」の要因として多様化、中央集権よりの政治が絡んでいることの例もあげた。すなわち、私のよいとする日本の前にある悪い現状を構造化した。 内容がよくわかりませんが、論理的にはOKだと思います。
3、では、2で要因を確認できたので、解決策を提案した。設問1では、「地域主義」とイノベーションを主眼に置いた規制緩和を提案した。しかし、実行可能性を検討すると、国民が能動的にならなければならないほどに困難であった。したがって、能動的にならなければ私のよいとする日本を実現できない。すなわち国民一人一人が能動的であることが私のよい日本の必要条件である。したがって、私にできることとして、必要条件を満たせる内容を示した。設問1の内容がわからなさすぎるのでダウンです…。論理構成はあってるのでしょうが中身があっているかどうかは不明です…。すなわち、私の関心テーマであるデータサイエンスから対策の具体例を示した。以上が私の「総合政策学的アプローチ」である。ここはいい雰囲気なんですけれどもね…。特に、あなたがやりたいこととこの問いを関係させる手法はこの問題ではすごくいいと思います。ここからは苦言。

「データサイエンス」で何がやりたいんでしょうか?

「データベースは答えを出せない」んですよ。という小ネタはさておいて。

例えば、「データサイエンス」では「問題の設定」「問題の構造化」「解決策の検討」のどれがうまくできると思いますか?「全部」という答えはなしで…。科学的な可能性を検討した場合、「全部」という答えは正解だとは思いますが。それでも、あなた自身がやるべきことを考える場合、どこかに「絞る」ということも重要です。もちろん学んでから答えが変わるのは大いに結構ですが、ご自分の今の答えはどこにあるんでしょうか。

そこがはっきりしていないと、最後の一文は「情報に興味があるからSFCで」ぐらいにしか見えない可能性もあります。つまり、あなたの「総合政策学的アプローチ」は「情報学」です。という奇妙な答えになってしまう、ということです。そうであれば、それはSFCで学ばない方がよいでしょう。「情報学科」で十分です。

結局あなたは「データサイエンス」でそのどこに取り組みたいんですか?そこをはっきり書かないと「総合政策学的アプローチ」ではなく、単なる「道具立て」について語っていることになります。もちろん文脈からは理解ができるんですよ。既存のテレビ等とは異なるメディアであるインターネットについて、データを解析するという手法から、信頼性を付与することで、マスメディアとは異なる信頼性のある情報源に国民がアクセスできることから、マスメディアからの影響を受けにくくなる。なるほど読み取れます。これは「よい情報の提供」という意味で、「解決策」にアプローチする方法です。これの背後は経済学等によくある考え方です。「全ての情報をみんなが知っているとよりよい状態になる」という仮定に基づいて「みんなで情報を共有しようよ」という「解決策」をとる方法です。そういうものがあなたの今のやりたいことですか?

このあたりが小論文以上に気になるところではあります…。

ちぐはぐですがこのへんで…。

環境情報学部・2012年

小論文をご投稿いただきましたので、解説を加えていきたいと思います。一応、管理人以外閲覧不可でご投稿いただいていますが、原文ほぼそのままで書いてみます。問題があればおっしゃってください。
 私は、印象的な関わりを持った生活用品として、草刈鎌を取り上げたい。小学校の頃、農業体験をした経験をふまえたうえで、以下草刈鎌について述べる。
 小学生の時、私は授業の一環として農業体験をしたことがあった。近所の農家に出向き、稲刈りの手伝いをするというものである。そのとき使用した草刈鎌は棒に刃のついた、いわゆる普通の草刈鎌であったが、それまで草刈鎌を使用したことのなかった私は、稲を上手く刈ることができないばかりか、すぐに腰を痛めてしまった。
 つまり、草刈鎌は極めて単純な構造で、機能と見た目が一貫しているにも関わらず、使いこなすには慣れが必要な道具なのだ。また草刈鎌は、取っ手と刃という2つのパーツで、使う人の動きを「腰を曲げて草を刈る」というように規定するため、身体感覚に密着した物でもある。
 草刈鎌の、「どこをどう使うのか」が明確で、老若男女誰でも使い方を理解する事ができるが、実際に使用するためには慣れを必要とするという特質。そして、現代において専門性の高い道具になったがゆえに、昔からの形をそのまま引き継いでおり、刷新が行われていないという事実。この二つの事柄が私の印象に残った点であった。(496文字)

私は、草刈鎌を開発するにあたり考慮すべき点は主に三つあると考える。まず、「身体感覚と密着していること」。身体の動きがそのまま「草を刈る」という現象につながっていなければ、道具の扱いが安定しない。第二に「扱いが容易なこと」。問一で挙げたような従来の草刈鎌の問題点を解決するために、身体に無理のない物を考えるべきだ。第三に「どのように使うのかが明確であること」。たとえ草刈鎌を知らない人でも、物を見てすぐにこれは草を刈るものだと認識できねばならない。安全性の観点からもこの点は重要である。この三点に加えて、「草を刈る」という動作の質を向上させることを考えてゆく。
 さて、クラウス・クリッペンドルフによれば、「デザインとは物に意味を与えること」である。私はこの言葉を、人と人工物との相互作用によって生まれる意味を考えて、利用する人がどのように利用していくのがベストなのかを追求すべきだというように解釈した。
 これを草刈鎌の開発にあてはめてみる。すなわち、「草を刈る」ために必要な動作を抽出、それに合わせたデザインをしていくことで、草刈鎌を使用する人がより快適に動作を行えるようにする。そのうえで、私が特に着目したのが「柄を掴み」「刃をひいて」「草を刈る」という動作の流れである。
 この動作をよりよいものにしようとしたのが、図の草刈鎌である。腕に装着する形をとることで、使いこなすために慣れが必要という従来の草刈鎌のもつ問題点を解決しつつ、どこをどう掴んで草を刈ればよいのかを見た目から明確に判断できるようにした。また、身体感覚との誤差を減らすということも考慮し、腕の延長であるかのような使い心地を目指した。(700文字)

「論理」とは「言いたい事を相手にわかりやすく伝えるための方法論」です。

論理とは、

・「いいたいこと」を
・「わかりやすく」
・「つたえる」ための方法論

です。ご投稿いただいた方は、これをしっかりと頭の中に意識させてください。これは何回言っても言い過ぎにならないぐらいの重要事項です。何度も何度も反芻してから次の文章を読んで下さい。

問1

軽く設問分析するとこんな感じですね。

・印象的な関わりを持った生活用品を一つ挙げ(A)、
・それがどのようなものであったか(B)、
・あなたがそれを通じてどのような体験をしたか(C)、
・なぜそのような体験が得られたのか(D)

問1は、これらについて「小論文」の形で説明していれば、それで十分です。さて、ご投稿いただいた文章を軽く分解してみましょう。
 私は、印象的な関わりを持った生活用品として、草刈鎌を取り上げたい(A)。小学校の頃、農業体験をした経験をふまえたうえで、以下草刈鎌について述べる。
 小学生の時、私は授業の一環として農業体験をしたことがあった。近所の農家に出向き、稲刈りの手伝いをするというものである。そのとき使用した草刈鎌は棒に刃のついた、いわゆる普通の草刈鎌(B)であったが、それまで草刈鎌を使用したことのなかった私は、稲を上手く刈ることができないばかりか、すぐに腰を痛めてしまった(C)
 つまり、草刈鎌は極めて単純な構造で、機能と見た目が一貫しているにも関わらず、使いこなすには慣れが必要な道具なのだ(B)。また草刈鎌は、取っ手と刃という2つのパーツで、使う人の動きを「腰を曲げて草を刈る」というように規定するため、身体感覚に密着した物でもある(B)
 草刈鎌の、「どこをどう使うのか」が明確で、老若男女誰でも使い方を理解する事ができるが、実際に使用するためには慣れを必要とするという特質(B)。そして、現代において専門性の高い道具になったがゆえに、昔からの形をそのまま引き継いでおり、刷新が行われていないという事実(B)。この二つの事柄が私の印象に残った点であった。
(D)を文脈から読みとることはそこまで難しいわけではありませんが、(D)は明示した文章として存在しません。上述のように、論理とは「いいたいことを」「わかりやすく」「つたえる」ための方法論です。「いいたいこと」についてはわざわざ設問で限定してくれています。つまり、(A)〜(D)について書いてほしい、と。そう書かれているのに、(D)を明示的に書かないのは減点対象でしょう。端的に言えば、「鎌自体が腰を疲れさせる動作を誘発させるから」という内容さえ書けばいいのに。それは恐らくは「慣れてなかったから」「いいたいこと」をつかみそこねているか(つまり、A〜Dを書くべきである、と読み取れていない。)、500文字の中の文章構造を決めていない、かのどちらかです。「わかりやすく」を意識すれば、

私は「○○○」についての体験を述べる(A)。
「○○○」とは…であり、…という性質を持つ(B)。
そして私は「○○○」について…という体験をした(C)。
なぜならば、「○○○」は…という性質を持っているからだ(D)。

ぐらいの直接的な文章構造で書いてしまっても問題ありません。「いいたいこと」を伝え損ねるよりはよほどマシです。私の感覚が他の人とずれていなければこの問題は、(A)→(C)→(B)→(D)あるいは(A)→(C)→(D)→(B)で書いた方が書きやすいとは思いますが、いずれにせよ上の例の文章の順番を入れ替えるだけで十分です。
 渾身の気持ちで書いた「付き合って下さい。」というラブレターに、「私も前からあなたのことが気になっていました。これからもいいお友達でいましょう。」という返事が帰ってきたら「悶々」としませんか?論理的には、この場合の返事は「はい」か「いいえ」でいいんです。それを「蕩れ」とか「惚れ薬、いっぱい入ってるから」などと返事をするのは文学の世界でしかありえません。あなたが今書いているのは小論文です。文学青年に告白しているわけでもなければ、小説を書いているわけでもありません。「なぜ」と尋ねられているのであれば、「なぜならば、」「その理由は、」で受けた文章を書いてください。「いいたいこと」を「わかりやすく」「つたえる」こと。これが最大のポイントです。(とはいえ、現実のラブレターは少しぐらいかっこつけたほうが…)

問1でとにかく気になったのはこの部分です。

問2

設問分析をすると条件は、

問題1で挙げた生活用品の改良案、またはそれに代わる新しい生活用品を700字以内で提案してください。

ですので、これさえ書いていれば十分です。
この動作をよりよいものにしようとしたのが、図の草刈鎌である。腕に装着する形をとることで、使いこなすために慣れが必要という従来の草刈鎌のもつ問題点を解決しつつ、どこをどう掴んで草を刈ればよいのかを見た目から明確に判断できるようにした。また、身体感覚との誤差を減らすということも考慮し、腕の延長であるかのような使い心地を目指した。
つまり、この答案は最低限の必要事項は書かれていることになります。あとは内容が総合政策的アプローチ的であるかどうかさえ考えればよいでしょう…と言いたいところですが…。論理とは、

・「いいたいこと」を
・「わかりやすく」
・「つたえる」ための方法論

です。
私は、草刈鎌を開発するにあたり考慮すべき点は主に三つあると考える。まず、「身体感覚と密着していること」。身体の動きがそのまま「草を刈る」という現象につながっていなければ、道具の扱いが安定しない。第二に「扱いが容易なこと」。問一で挙げたような従来の草刈鎌の問題点を解決するために、身体に無理のない物を考えるべきだ。第三に「どのように使うのかが明確であること」。たとえ草刈鎌を知らない人でも、物を見てすぐにこれは草を刈るものだと認識できねばならない。安全性の観点からもこの点は重要である。この三点に加えて、「草を刈る」という動作の質を向上させることを考えてゆく。
 さて、クラウス・クリッペンドルフによれば、「デザインとは物に意味を与えること」である。私はこの言葉を、人と人工物との相互作用によって生まれる意味を考えて、利用する人がどのように利用していくのがベストなのかを追求すべきだというように解釈した。
この部分を論理的に読むとこうなります。

私は、草刈鎌を開発するにあたり考慮すべき点は主に三つあると考える。
(…三つの説明…。)
この三点に加えて、…を考える。
さてこういう考え方を私はこう考えている。

「いいたいこと」を理解するのに「わかりづらい」ことこの上ない構造です。「5つ」あるなら「5つ」と書きましょう。そのうちどれかが下部構造なのであれば、「○○○」に基づいて「4つ」の観点を提案したい。等と書きましょう。「いいたいこと」を「わかりやすく」「つたえる」必要があります。

「引用」は「何」を伝えるか

さて、クラウス・クリッペンドルフによれば、「デザインとは物に意味を与えること」である。私はこの言葉を、人と人工物との相互作用によって生まれる意味を考えて、利用する人がどのように利用していくのがベストなのかを追求すべきだというように解釈した。
「引用」は、受験小論文においては3つの役割しかもちえません。

引用の役割・「権威者」の「権威」をもとに「自分の主張」を正当化する。
・「いいたいこと」そのもの「ずばり」を説明する。
・自分の頭の中に該当分野について正しい知識があることを示す。

このうち、3番目はSFCではほぼ不要でしょう。この部分を問われている設問はほとんど見た事がありません。すると、1番目か2番目ですが、1番目もほぼ問われることはないです。特に他人の意見を引用する形では皆無です。偉い人がいっていようと、自分がいっていようと、小論文では関係ありません。日常生活において、「灘校の生徒だってこの参考書がいいって言ってるよ」という権威付けは意味をなしますが、SFC小論文ではそういう権威付けに意味はありません。「引用」で意味があるのは、例えば「近年、NASAの研究により、地球温暖化の原因は二酸化炭素ではないということが明らかになっている」といった「いいたいこと」そのもの「ずばり」を書く場合だけでしょう。

「いいたいこと」を「わかりやすく」「つたえる」という観点から考えると、こうしたタイプの引用はいたずらに小論文を難しくしているだけです。

さらには、「私は○○という意見を△△と解釈した。」と書いてあるだけでは、「私は○○という意見を△△と解釈した。だからこの意見に賛成である」「私は○○という意見を△△と解釈した。だからこの意見に反対である」といったことすら読み取れません。こうなってくると、ここでは上記であげた「1」「2」のパターンでは確実にありえずに、「3」の意味しか持ちません。つまりは「私ってこんなこと知ってるんですよー。採点官さん、私の知識に点をつけてください」というメッセージを伝えているに過ぎません。「人と人工物との相互作用によって生まれる意味を考えて、利用する人がどのように利用していく」デザインを私は採用した。と書いた方が、「いいたいこと」を「わかりやすく」「つたえられる」のではないでしょうか。

以上、論理の部分の解説はこのあたりで…。

内容について

論理の部分がしっかりしていない以上、内容について過度には書けないですが、わかりうる範囲で書いてみます。

まず、問1の文章から読み取れるのは「鎌は使い方に悩まないものの『慣れ』が必要な道具」そして「現在の形のままでは腰を痛める動作を誘発する」ということです。だから、問2は『慣れ』がいらない形に変えるか、『慣れ』やすい形にするか、「腰を痛めない動作」で出来るようにするか、が焦点になります。ところが、問2では前半にこういったことがあまり書かれていないので問1からのつながりが悪いです。特に3つのポイントに明示的に含められていないのが減点対象でしょう。一応、この「デザイン」なら、『慣れ』の問題を解決できると書いてあるのですが、やっぱり3つのポイントに入れたいですよね。というよりは『慣れ』の話と『腰』の話が3つのポイントと入れ替わるべきです。

ちなみに、『慣れ』というテーマは解決するのが難しいので私ならば選びません。せめて、レトリックで、「今の草刈鎌では、慣れなければ、「柄を掴み」「刃をひいて」「草を刈る」という動作をスムーズに行うことができない」けれども「私の草刈鎌ではそれらの動作がスムーズにできる。なぜならば「身体感覚と密着している」からです。ぐらいに書くという手はありますが。

恐らくは「問題の設定」が甘いのです。「草刈鎌」について「問題の設定」をしっかり考えると、「草刈鎌」は「草を意図通りに刈る」という目的を達成するための道具と考えるのが落としどころでしょうか。今の科学技術では、十分に安価に「草を意図通りに刈る」機械はできそうにありません。だから、「草を意図通りに刈る」ために、「草刈鎌」の「柔軟性」が必要になります。例えば、「毛虫のついている葉っぱだけを刈り取る」、「雑草だけを刈り取る」、「目標の稲だけを刈り取る」などという柔軟性です。それができる道具であれば、「草刈鎌」であっても、「合鴨」であっても構わないでしょう。あとは、それをどうデザインするか、だけです。ご指摘の通り、今の形では「慣れ」が必要であり、「腰」も痛める。では、その柔軟性を保ちつつ、「慣れ」の問題も「腰」の問題も解決する「草刈り鎌」を考えればいいだけのことです。それが今回ご投稿いただいた鎌であってもいいと思います。